ご投稿して下さった方々 (敬称略、ご投稿NO.をクリックしていただくとそれぞれの方のご投稿へリンクします)
ご投稿NO. | name | subject |
159 | まいえ | 何のために生きるのか |
160 | 未来 | 足元をみる |
161 | muku | 何のために生きるか |
162 | まる | 何のために生きるのか? |
163 | M・D | まるさんに聞きたい、親友の人生について |
164 | uri | 生きるというのは苦行 |
165 | 918 | 「繁殖それだけ」ってそれだけ? |
166 | OSHII | 私の場合 |
167 | M・D | 何のために生きるのか |
168 | Yuuki | 生きる事 |
169 | saga | 件名なし(何の為に生きるのか) |
170 | EDEN | まだ・・・ |
171 | 曜子 | 感謝のため |
172 | K.O | ごめん |
173 | ねほん | 何の為に生きるのか |
NEW!174 | sometech | 何の為に誰のために生かされてるのか |
NEW!175 | chaki | 何の為に生きるのか |
NEW!176 | kaz | 何の為に生きるのか |
NEW!177 | るる | わたしを助けてくれているすべてのため |
NEW!178 | 二十歳の大学生 | 人生に喜びを見つけることは必要ですか。 |
NEW!179 | 莫・申そう | 人生を生きるってことは(件名なしのため仮題) |
NEW!180 | Hiro | 何のために生きるのか |
_subject= 何のために生きるのか
_message=
はじめまして。 「何のために生きているのか」と言う部分が目にとまり、投稿をさせて頂きました。 多くの方が投稿をされているようですが、敢えて、先入観を持ちたくなかったので、 他の方の意見を読まずに、投稿をさせていただきます。 私は、七年前に「生と死」の間を彷徨う大きな病気をしました。 昏睡状態から目が覚めると、そこは別世界でした。私は、全身不随になってしまったのです。 その絶望やら、これは、健康で生きている人には、申し訳ありませんが、お解り頂けないと思います。 想像してください・・・全てが人係なんです、食事や排泄、身体の清拭全てのことです。 毎日が、失望と絶望の連続でした。 だから、死ねる人が羨ましかった・・・呼吸して、自分のことも満足にできない自分なんて、 この世に生きている価値のない人間だと思っていました。 自殺できる人は、羨ましいです・・・だって、私はその時、自分で自分の命の灯火すら消すことすら、 できなかったのですから。 自然な流れの中で、私は、生きることを選びました。 病気は、後遺症を残しながらも、徐々に回復しました。 でも、残された時間は、あまりないようです。 いつ再発するのか・・・だから、私は、毎日、残された時間を精一杯生きています。 死について、キューブラー・ロスの本も読みました。 私は、自分がどん底に居た時に読みたかったと思います。 でも、そのときは、きっと、読み時ではなかったのでしょう。 死について、生きることについて、多くの書物が出版されていますが、 それは、参考と言う域をでないと思っています。 なぜならば、それは、自分の体験ではないからです。 参考にすることはあっても、それが全てではないと思うからです。 私は、自分が死に直面してから、幾度となく挫折や失望を感じてきました。 でも、なぜか死ねないのです・・・死のうとしても、簡単には死ねないのですよね。 人はこの世に「生」を受けた瞬間から、人それぞれが決められた「寿命」という名の切符を手にして、 時間と言う流れに乗り、「死」に向かって旅に出ます。 これは、身分や人格には関係なく、平等と言う名のもとに行われる行為だと思います。 だから、私たちは途中下車はできないのです。 私は、「死への気持ち」が大きい人ほど、「生への気持ち」も大きいのだと思います。 だけど、いつも心に「死」を思っている人は、生きる術が見当たらないのだと思います。 苦しいでしょう、辛いでしょう・・・でも、人や経験から、「生きる」きっかけを頂いたとしても、 残念ながら、自分でしか自分を救い出すことはできないのです。 自分が、何を感じ取れるかで、生きる気力が違ってくると思います。 悲観的に考えたければ、悲観的に考えればいいし、 前向きに考えたければ、前向きに考えればいいのです・・・ある意味、自分次第なのですから。 私は、幸いにも、あるきっかけで、自分の生きる意味を見つけ出すことができました。 というよりも、流れに逆らわないで、じっとしていたら、自ずと感じることができました。 だから、私はこの生かされている役割を全うするまで、死ぬわけにはいかないのです。 世の中に、必要ではない人はいません・・・誰しも、必要とされている存在なのです。 だから、自分を必要としてくれる人のために、私は生きていきたいと思います。 自分を必要としている身近な人たちのためにも、もう少し、頑張って生きたいです。 もし、死にたいと考えている人がいたら、少しだけでいいから、 自分の周りを見渡してもらいたいと思います。 そして、今までの経験を見つめなおしてみてください。 そして、小さい頃、自分が何になりたかったのか、思い出してみてください。 きっと、ヒントが隠されていると思います。 自分の周囲には、自分を必要としてくれる人が大勢います。 偉業を成し遂げることを望むより、足もとを見てほしいです。 絶対、自分の生きる意味が、そこにはあると思います。 長いメールになってしまいましたが、人には、生かされる意味があって、 それは、自分の身近な所や経験の中に、あるはずです。 だから、なにかによって、与えられた「生」を全うしてほしいと思います。 身体が自由に動いて、美味しい空気が一杯吸えて、働けて、 そして、生きられる時間を与えられている人が、本当に羨ましいです。 まいえ |
name=まいえ
クリスマスに届いたまいえさんからの追伸です
今日一日、世の中には、多くの迷いを抱えた人がいるということ、
それに対して、助言をする大人が少ないこと等、様々なことを考えました。
瓜生様や悩んでいる方々のお力になれればと思い、
よろしければ、以下に書きますアドレスを
公表して頂いて、構いません。
私にできることがあれば、私の命の灯火が消えるまで、
できるかぎり、お手伝いしたいと考えています。
まいえさんのアドレス gladiolus159@hotmail.com
_subject= 足元をみる
_message=
まいえさんが「足もとを見てほしいです。絶対、自分の生きる意味が、そこにはあると思います。」と言っておられますが本当にそうだなーと思う。 「足元」って一番大切だと思う。 そういえば、足の裏がくっついてる部分の地面が見えないように、足元だからこそこそ見えない部分が沢山あるのではないだろうか。 まいえさんとかはそれが見える。 おいらなんかはのほほんと生きてるからなかなか見えないんだ。 足の裏の地面ものほほんと突っ立てるだけなら見えない。 |
name=未来
_subject= 何のために生きるか
_message=
「何のために生きるか」を判っていなくても、「生きていること」それ自体がすごいことなのだとここへ来て感じるようになりました。 判らなくてもいいのだと納得出来ました。 今生きているということを大事にしようと思いました。 もうひとつ言うと、それが私にとって生きる目的かも知れないです。 「何のために生きるか」「今生きていることを大事にするため」 「今を生きる」ということをここで教えてもらいました。 |
name=muku
_subject= 何のために生きるのか?
_message=
人間も脳が無限の発想をすることが出来ること以外 コンピュータと同じです。何のためにいきるかではなく 脳からの命令に従っている。どんな小動物でも同じ。 細胞が子孫を残す事を命令しているから 今の時代、学校に行く。 見た目をよくする。 仕事をする 人を殺す。 犯罪 ・・・ ・・ ・ 自分たちが今していることは、繁殖であり生活では無い。 生き物としての繁殖までの課程を時代と供に生活等の言葉に 置き換えられている。 何の為にいきるかが人間に分からないのは。 それは人間はただの形だからである。 人間に唯一ある目的は繁殖のみ。 もしもなんの為に生きていると聞かれたら、 それが正しい答え。 みんなの答えは夢がある。 でもその夢さえも繁殖の課程にすぎない。 個人が別々の考えをすることも、脳からの指令を次の様にとるからだ 繁殖するには相手がいる。もしも全てが全て同じ考え形なら、 繁殖は止まってしまう。 よって個性がうまれる。 個性を使い、自分を売り込み繁殖のチャンスをねらう。 夢をかたることすら人と話すことすら人間として生活する全てが繁殖の為。 この質問は昔からよく唱えられていた問題であるが、 結局いつも細胞の繁殖になってしまう。 結果は繁殖それだけなのだ。 |
name=まる
_subject= まるさんに聞きたい、親友の人生について
_message=
私の親友は14才で白血病で死んだ。いつもニコニコしていて、優しかった。今でも彼女の笑顔を思いだすだけで心が暖かくなってガンバろうという気になる。中学になってからはほとんど学校へこれなかったのにいつも勉強していた彼女を思いだすと勉強しなければと思う。彼女はこうやって私を励まし続けてくれている。だから、私は彼女は心の中で生きていると思ってます。石川正一くんの詩のところに書いてあったけど、私は彼女の人生もすごい素晴らしい人生だと思ってます。だから、「繁殖それだけ」と言った人に聞きたい。 私の親友の人生は無駄だったというのですか? |
name=M・D
_subject= 生きるというのは苦行
_message=
まるさんが「生きるのは、繁殖のため」と言う記事を書かれてしました。 確かに、繁殖は、命を繋ぐために、太古の昔から、生物が当り前のように繰り返してきたことです。 しかし、私のように病気で、自分で生きるのが精一杯の人間は、 命を繋ぐお手伝いをする事はできても、自ら命を繋ぐ事ができません。 正直な所、世の中には、人の数だけ考え方や生き方があることはわかっていても、 少しだけ、生きる価値のない人間といわれ、私の生きていることが、 否定されたように思ってしまいました。 世の中には、命を繋ぐ事のできない苦しみに捕らわれている人が多いなか、 やっぱり、「生きる=繁殖」というスタンスで考えている人がいることも、事実なんですね。 本当に、生きると言うのは、苦行ですね。 |
name=uri
_subject= 「繁殖それだけ」ってそんだけ?
_message=
162のまるさんの意見を読んで > 人間に唯一ある目的は繁殖のみ。 > 夢をかたることすら人と話すことすら人間として生活する全てが繁殖の為。 > 結局いつも細胞の繁殖になってしまう。 > 結果は繁殖それだけなのだ。 そんなばななっって感じ?そうするとたとえば戦争の犠牲になった子供とかの人生はどうなるのだ?死んだ赤ん坊とかは? 思うんだけど、そういう漏れる人の出てくる話ってぜんぜん説得力がない。 宗教の話でも、漏れる人の出てくる救済の話ってあほらしい。哲学の話もそうだ。「人間とは」と言っても漏れる人が出てくる話っておいらは信用しない。 何の為に生きているのか? 今のところわかったこと < 「繁殖それだけ」じゃない > これだけは確かだ、漏れる人はいないから。 |
name=918
_subject= 私の場合
_message=
何度も自殺を試みました。ただそれには条件があり映画の様に死ぬ直前まで意識があることです。試行錯誤して腕の静脈を切りました。 薬とお酒で混沌とした意識の中で何度目かのカットで 静脈から血が吹き出たときは妙な満足感がありました。 結局は死にきれずこうしている訳ですが、北野タケシの言葉で「人間は死ぬことは選ぶことが出来るが、生きる事は選べない。」 を支えに生きています。 私にとって木片のパンは死ぬことなのです。でも、多分世の中に不平不満をいだきながらも10年後も生きているのでしょうね。多分。 |
name=OSHII
_subject= 何のために生きるのか
_message=
918さんが「漏れる人が出てくる話はあほらしい。信用しない」と書いてあったけど、私もそう思う。 < 「繁殖それだけ」じゃない >とすごく納得できた。 それで、「漏れる人が出てこない」答えをさがすことにした。goshinさんが「死ぬことも生きることも自分の思い通りにはならない」と教えてくれた。いつ死ぬかもわからないし、何のために生きるのかもわからないけど、優しい心で毎日を過ごしたいと思う。人と人の心のつながりは死んでも消えないから。わたしが今思っているのは、人は人と出会って心のつながりをもつために生まれてくるのかなと思ってます。 |
name=M・D
_subject= 生きる事
_message=
3年ほど前、仕事に疲れ、人間関係に疲れ死にたいと思っていた時期がありました。そんな中、父親が亡くなり、その年同窓会で元気に近況を語っていた友人が自殺しました。関連の仏事に参加して、死にたい気持ちは一時薄らぎました。 そして、去年仕事がうまくいかずまた、生きる希望を見失っている時、体調を崩し病院にいくと”大腸ガン”の宣告を受け緊急手術となりました。手術前に手術が失敗して死ぬのもよいという気持ちと、まだまだ生きていたいという気持ちが相互に出現しました。それでもその問題は受動的問題なので、調子が悪いのとあわせて夢のように時間だけが過ぎ、手術が行われ成功しました。 手術は腹部を30cm弱開き一番奥の大腸を30cm程度切除して縫合するものだったようです。手術が終了し麻酔が切れてくると痛みが始まり、2日後にはたって歩くよう指示され立ち上がりました。そのとき、縫合部分はそれほどでもないのですが、腹部に通した管がなにかの膜に触れているらしく、動くたびに激痛が走ります。そんな激痛は人間に生きるという気持ちを持たせるのかも知れません。 痛みがある間は、一度も死にたいなどと思いませんでした。 その後退院し、再度働きだすとまた生きることがつらく感じてきます。 それでも、再発・転移の恐怖と同居している関係上、死にたいとは思わないのです。 ただ、生きていくのはつらいです。仕事がうまくいっている時期でも明日はだめになるのではとか考えて落ち込み、うまくいかないときはなおさらです。 旅行とか犬との散歩とかの時間はそんなこと考えないのに、会社にいったときや、夜目が覚めたときなど、悪い思考の淵に止め処もなく沈んでしまうのです。 昔、徳川家康が言った言葉として記憶している ”人生とは、重い荷を背負って山を登るが如し” とは当時、天下人になるような人は違うと思って聞きましたが、普通の人間でも同じなのだ。 と感じている今日この頃です。 論旨がぼけてしまいましたが、今生きたいと感じています |
name=Yuuki
_subject= まだ・・・
_message=
自分のため・・・ 死んでしまっては見れないから はっきりと見えるのに見えない人がいる 死んでしまっては見れない人がいる 生きていなければ見ることのできない人がいた 自分と言う名私を 私と言う名の自分を知るために喜びのために生きているんじゃないの?人間って |
name=EDEN
_subject= 感謝のため
_message=
私が生きるために助けてくれた人や動物や植物やモノ・・全てのものへの感謝のために生きたい |
name=曜子
_subject= ごめん
_message=
みんなうるさい。ぜんぜんダメ。 |
name=K.O
_subject=
_message=
お久しぶりです。気が変な ねほんどぇす。 今日思いついたやつを1つ提案します。 『誰かの未来の為に生きる』 uryuさんは何の為にあのホームページを消さないで残してあるのですか? 私は苦しい時にuryuさんのHPに出会えて、自分の意見が言えて本当に楽になれた よ。 ありがとう。 私はいつもなにか創ってもすぐに壊してしまい、自分に酔ったり迷ったりしていまし た。 今は私自身を含め誰かの何かの未来の為に生きたいです。 新しい命のために明日の子供達のために 私が望む未来の世界のために。 例え私が死んでも誰かが私と同じような想いを胸にして生きてくれることを信じなが ら、私は生きます。 |
name=ねほん
ねほんさん、優しくあたたかいご投稿とお言葉をありがとう。HPを更新も出来ないくせに残してあるのは、ねほんさんがいて下さるからだよン?10年後20年後に思い出して再訪して下さる方を待つためです♪
一度でもここに来て下さった方が、いつか「思うようにならない人生」に「絶望する」ようなことがあったとき、「人生は苦」と言い切られた釈尊や「思い通りにならない人生を思い通りにしようとしたいのがわたしだ」と自己を凝視された親鸞聖人、そして、その教えを受けて、「生かされているのに自分ひとりで生きていると思いこんでいるのがアンタだ」と教えて下さった米沢英雄先生や「人間の力で絶望なんて出来はしないのです」と説いて下さった安田理深先生がいらしたことを思い出していただけたらと思うからです
_subject= 何の為に誰のために生かされてるのか
_message=
私には長いこと悩んでいることが有ります。何の為に誰のために生かされてるのか、今でもその答えが出ていません、世界では幼い子供が毎日たくさん亡くなっているのに、その子供たちの方が此れからの世界に必要だと思うのですが、何故私は生きているのでしょう何の為に生かされているのでしょう、それが判らないまま53歳になりました。 こんな体になりもう52年も生かされて来ました、誰の為何の為判りません |
name= sometech
sometechさん、誰の為何の為か判りませんと仰有るけど、「生かされている」ことを分かっておられるsometechさんはやはりさすがだなって思います。ご投稿ありがとうございました。
_subject= 何のために生きるのか
_message=
ねほんさんの「誰かの未来のために生きる」というご意見を読ませてもらって、そうだそうなんだって思いました。命はつながっているのですよね。 |
name=chaki
_subject= 何の為に生きるのか
_message=
俺は真実を知っている。 今その現実を教える為、今なれない手で文を作っている最中だ。 だからここでは、ただ真実は無にあることだけ言っておく。 そして、その無の真実を探し生きている人間。 しかし、探し物をしている自分にも気づかない人間。 繰り返しの現実。 統一を願いすれ違う人々の哀れな心。 求めれば求めるほどに複雑になり遠ざかる。 キリスト、釈迦が伝えたかったもの。 心を一つに。 アダムとイブ。 無意味な現実。 この言葉達がキーワードだ。 |
name= kaz
_subject= わたしを助けてくれているすべてのため
_message=
曜子さんが投稿されていますが、わたしもわたしを助けてくれているすべてのために生きなきゃいけないと思う。 |
name=るる
_subject= 何の為に誰のために生かされてるのか
_message=
人生に喜びを見つけることは必要ですか。その中に他人が入ってくることはありますか。 私は高校時代、学校に対する不満からある行動を起こしました(詳細は長くなってしまうので省略させていただきます)。適当に学校に見切りをつけて適当に過ごせばよかったのかもしれませんが学校がすべてにならざるを得ない状況でしたし、問題を直視しなければ何も良くならないと考えて、行動したのでしょう。 結局、私はこの一件ですべてを見失いました。2年ほど大学に通いながらやっと自分について見つめ直し、今の学校に転校して3年生となった今、卒論の準備として読んでいた本でこのホームページのことを知るに至りました。 最近、高校時代のクラスメイトが大学で様々な活動に力を入れていることを知り、喜ばしく思いながら高校時代を回想しています。高校時代の自分は学校に執着するあまり先生方とも衝突し、結局自分の主張の趣旨をうまく伝えることができませんでした。 それを反省すると同時に、責任が自分だけにあるとしないのはやはり周りにも自分と同じような考えを持っている人がいたこと、さらに学校が学生の実態を踏まえた対応をしようとさえしないということに対する問題意識からです。そしてなにより、すべてを自分の責任にすると自分を全否定するようで生きていけなくなってしまうような気がするからです。 私は自分ひとりで行動し、それも決して行動と呼べるほどではなくgoshinさんの時代の全共闘運動とは規模も内容も貧相でした。しかし、あの頃の私は16歳でショックも大きく、今でも当時を忘れることができません。もしかしたら、忘れるよりも心に留めておいて誰もが人生を喜びを持って生きることができることを願って行動していくことが私の務めかもしれないと思っています(大袈裟ですね)。 お返事でgoshinさんは、「人生に喜びを見出す必要がある」ということにはそれほどこだわっていらっしゃらないように思いましたが、確かにそうです。 にもかかわらず誰もが喜びを持って生きていけることを願わずにはいられません。 高校時代のクラスメイトに比べて自分は未熟だと思い知らされながらも自分を正当化することでしか生きられない。幸いにも今は大変恵まれた生活をしているにもかかわらず昔をあえて記憶に留めようという考えにより自分を自ら苦しめすべてが空しい。 |
name= 二十歳の大学生
_subject= 感謝のため
_message=
何となく「死にたい」で検索したら、このHPにたどり着きました。 ご縁(誤縁?)でしょうか!? 生きていて幸不幸は半分半分なんですよね、どっちの半分を意識するかで楽しい気持ちになったり、塞いだりしてしまうんですよね、とは言いつつ、そんな冷静に自分を見つめられる訳がなく、だから生身の人間なんですよね。 「順風満帆な人生」という言葉をよく耳にしますが、どんな豪華客船だって、嵐や思わぬトラブルが全くないことはないので、因果応報とは言うものの、旅の過程ではいろんな危険や不幸にみまわれて、タイタニック号のような結末を迎えることもあります。 人の人生だって、自分だけがどうしてこんなに不幸なんだろうと思ってしまうから、自分の人生を厭おってしまう。 人生を生きるってことは、人と付き合って行くこと、そして自分を日々変えていくこと、人への思いやりや社会の一員であることを忘れて、我がまま放題に、ただ食べて生きているのは、人間とは言えないんじゃないかなぁ。 人間として生きているからこそ、そのバックボーンの死を考えてしまうこともある。なんて、何もできてない自分に言い聞かせることができるHPに感謝します。 |
name=莫・申そう
_subject= 何のために生きるのか
_message=
細かく考えると、無数に理由がありすぎてとても書ききれない気がします。 でも最大の理由は「死なないために」じゃないでしょうか。 やはり動物にとって、「死ぬこと」は最大の苦痛なんじゃないでしょうか。そして、「生きること」のなかにはさまざまな喜びがあるんじゃないでしょうか。 たとえば「食べる」ということ。つまりほかの生き物を取って食うことです。食われた動物は当然死にますので、最大の苦痛を受けるでしょう。でも、食わなければ自分が死にますし、空腹を満たすことはなんとも喜ばしいことですね。 自分にとって最大の喜びが、他者にとって最大の苦しみだということですね。たぶん単細胞生物や菌類や植物は感覚器官がないので、食われても苦痛を感じないでしょうけども、「多細胞動物」は捕食するために動き回ると同時に、捕食されないために動き回る。ちょっとでも油断したとたんに、誰かにつかまって生きたまま牙で引き裂かれる、丸呑みにされる、体液を吸い出される、溶かされて吸い取られる。 生きることは自然界の動物にとって、常に戦場にいるような危険なことです。自然界においては、死亡原因の第1位は、ダントツで「食われた」ということでしょう。 一回の産卵で、何万個も卵を産むものから、哺乳類にいたるまで、すべての動物にいえることは、ひとつがいの親から生まれた子供で、成体になるまで生き延びられるのは、平均するとおよそ2個だけであるはずだということです。それ以下なら絶滅するし、それ以上なら人口爆発になるのだから。あとの個体は、ほとんどが「食われて」死んでしまうのですね。 あらゆる生物にとってもっとも根源的な要求であるはずの、自己複製活動(生殖活 動)すらも、ごく幸運な個体にしか許されてはいないのですね。 われわれ動物にとって、生きるということはなんと因果なことでしょうか。 しかしそれが自然界なんですね。 いまもわれわれが知りもしないところで、無数の生命が生まれ、喰らい、あるものは生み、そして喰らわれ、死んでまた喰らわれ、また生まれ生まれる。繰り返し繰り返し。。。。 人間もまた自然界の一部だから、その営みから超絶した存在ではない。すべての生のいとなみと、すべての死が、われわれを生かし、殺す。われわれの生と死が、すべての生と死につながっている。 すべての生の営みが、なんとはかなく、むなしく、苦しみに満ちたものであることか。 そしてそれらすべてのことを人間だけが知ることができる 「知る」という木の実は人間の宿命であって、避けることはできない。目をつぶって見ないこともできますが、そのことでまた新たな苦しみを生み出してしまう。 「知る」ということ、それが「不幸」ということの始まりなんじゃないでしょうか。 しかしその「不幸」を知った人間だけが、ほんとうの「幸福」ということも知ること ができるのかもしれない。 |
name=Hiro
ご投稿をありがとうございました。心より御礼申し上げます。
米沢英雄先生は「本当の自分に出会うため」と答えて下さいました。
應瑞寺ご住職は「自分を生かす」ということをお教え下さいました。
このような心に残るお言葉にも出会いました。