「嫉妬の苦しみから逃れる方法は? 」
(99. 11.16現在 ご投稿件数 5件)
こんなことについて皆さんがどう考えているか知りたいという「問いかけ」がありましたら是非お知らせ下さい。
問いかけのご投稿
subject=嫉妬の苦しみ _
message=
嫉妬を感じることに苦しんでいます。
こればかりはどうしようもないです。
憎んでも憎んでも愛情がそれをうわまわる。
これほど愛したことも憎んだこともありません。
同じ職場で、毎日毎日嫉妬に苛まれながら過ごしています。
この苦しみから逃れるにはどうしたらいいでしょうか。
name=匿名
subject=嫉妬の苦しみ _
message=
自分の場合は、自分を高めるための具体的な目標をいろいろと決め、意識的に忙しい毎日を送ることによって悶々とした嫉妬の日々から抜け出した。
今だから思えるのだろうが、嫉妬はエネルギーの無駄遣いだったと思う。エネルギーの無駄遣いが出来ないほど他のことにエネルギーを使い切ることを考えたらどうだろう。
from=asamade@geocities.co.jp
subject=嫉妬心からの解放。菩提心について。
message=
こんにちは。龍樹と言います。 嫉妬心からの解放のされ方について自分なりに考えてみました。 20の法則として提示しますね。
法則1 嫉妬心は、他人の良い要素ばかりでなく、自己の良い要素も否定する
相手を妬ましいと思うと、自分も妬ましく思われているのではないかと思ってしまう。よって、自己の良い要素を、潜在的に小出しにしてしまう。また、相手の要素を否定すると、心ならずもその要素を自分が得ることも否定してしまう。
法則2 称賛は、他人の良い要素ばかりでなく、自己の良い要素も肯定する
真の称賛は、相手の良い要素を心から肯定することである。 よって、自己もその要素を学ぼうと前向きに考える。
法則3 嫉妬心と称賛は、相反の心理である
嫉妬心が旺盛な人は、称賛を心がけることで、 嫉妬心が消えていく。
法則4 嫉妬心と闘争心は、表裏の心理である
闘争心が旺盛な人は、嫉妬心も旺盛である 。外側(他)に向けられた、闘争心を内側(自己)に向けるとき 他に対する称賛ができるようになり、 嫉妬心が消滅し向上心に昇華する。
法則5 自尊心と卑屈は、表裏の心理である
「私は特別だ」と「私は例外だ」 どちらも他との比較によって自己を定義している 。他よりも調子が良いとき、「私は特別だ」 他よりも調子が悪いとき、「私は例外だ」。 自尊心高き人は、卑屈になりやすく逆境に弱い。
法則6 現在志向(状態を評価)でなく、未来志向(過程を評価)であるべき
「頭が良い」と褒められて育つと、自尊心が強くなる 。「がんばったな」と褒められて育つと、向上心が強くなる 前者は逆境に弱く、後者は逆境に強い。
法則7 自尊心と謙虚は、相反の心理である
他よりも調子の良いことを望むとき「得てないものでも得た」 。他よりも調子の悪いことを望むとき「得たものでも得てない」 。どちらも向上心を萎えさせる 。現在の自己より成長することを望むとき 「得たものは得た、得てないものは得てない」。 真の謙虚とは、他に対してではなく自己に対して湧くものである。
法則8 過去・未来に固執しない、現在に集中する
過去に固執すると、自尊心が生起する。 未来に固執すると、期待が生起する 。期待(肯定的可能性の成就)は、 否定的可能性の成就を同時発生させる。 現在に集中するとは、「全てを自然に受け入れて自然に流す」 。そこには自信もなければ、否定もない
法則9 期待ではなく、無頓着でもって努力すべき 期待は未来を固定する。
そして、 その未来が変化するのを嫌う心理である 。しかし「諸行は無常」である 。いかなるものも必ず変化する、その変化の時に苦しみが生起する よって、変化を嫌う心理は持つべきではない 。逆に、変化を望む心理を持つべきである 。変化を望む心理とは何か、それは「向上心」である 。そして、向上心を現在に集中させた産物が「無頓着」である 。無常とは否定的な意味ばかりではない。裏を返せば、 努力次第で無限の可能性を秘めているということである
法則10 「これが私だ」という実体は存在しない
過去の自分にとらわれるから、苦しみが生起する。 未来の自分にとらわれるから、苦しみが生起する。 逆に言えば、苦しい時こそチャンスである。 その苦しみを乗り越えたとき、 過去や未来の自分より自由な自分が現れる。 幸いなことに、その可能性は決して否定されない 自分で意図的に否定しない限り。
法則11 苦しみの原因は必ず自分にある
ある現象を、 苦しみだと認識するためには過去や未来の自分が必要である そこで、過去や未来の自分に左右されず、現在の自分に集中する すると、苦しみを苦しみだと認識しない可能性が現れる それが、実感できたとき、真に苦しみから解放される しかし、一般的には「意図的に」その可能性を否定する 苦しみの原因を、他人や環境のせいにしてしまう 他人を批判したり、環境から逃げたり 一見、苦しみを免れたかのように見えるが 再び条件が整うと、再び苦しみに没入する。なぜなら、 苦しみだと定義しているのは「自分」に他ならないからである。
法則12 楽しみを求める心理が、苦しみを増大させている
苦しみから逃れ、楽しみを求めようとする心理 、換言すれば、苦しみの原因を自己ではなく環境に求め 楽しみの原因を自己ではなく、環境に求めている 。苦楽を環境に定義してもらうことを望む心理に他ならない 。環境に左右されやすい、不自由な自分が現れる 。環境の刺激に対して、 決まった反応しか取れない生命体になってしまう 。えてして、そのような生命体は苦しみが多い。
法則13 執着と嫌悪は、表裏の心理である
環境の刺激に対して、決まった反応しか取れない場合 、「こうあって欲しい」あるいは「こうあるべきだ」と 自分でコントロールできないだけに、執着が強くなる。 執着が強い場合、自分が執着する対象を脅かす存在を嫌悪する。 執着が強い人は、嫌悪も強い。
法則14 嫌悪は、自我意識の最悪のものである
ある対象を執着するのは、 自分ばかりでなく他人もそうであるはずである。しかし、 嫌悪の強い人「自我意識の強い人」はそれに考えが及ばない。 嫌悪は「自分はよいが、他人はいけない」の発想のもと生起る。
法則15 嫌悪と愛情は、擬似的相反の心理である
愛情は「自分がよいように、他人もよい」の発想のもと生起する 。一見、愛情と嫌悪は相反する心理のように思われるが 「自分がよい」としている点で、執着の一種である。 「自分のよさ」と「他人のよさ」を天秤にかけなければ ならなくなったとき、愛情は、偽善に変化する 。従って、愛情が強い人は嫌悪も強い。
法則16 愛情は自己に近い対象を善し、遠い対象を悪しとする
愛情は、対象を自分に近いか遠いかで識別する。対象が、 近い場合は自己より優先するが、遠い場合は自己を優先する。 愛情は、結局自己に見返りがあるかないかを計算している。
法則17 嫌悪と慈愛は、相反の心理である
慈愛は「自分はさておき、他人がよい」の発想のもとに生起する。 確かに、愛情と慈愛は「他に与えたい」という点で共通する 。しかし、愛情は見返りを求め、慈愛は見返りを求めない 。見返りを求めないことで、環境に左右されない自分が現れる 。結果的に自分で苦楽を定義できるようになり 心は安定し、執着と嫌悪は消滅する。 そして、自己の苦しみに鈍感になり、他の苦しみに敏感になる。
法則18 他の苦しみに敏感になると、他の過ちに鈍感になる
他の過ちに敏感な人は、 その過ちを自分が持っていることに気付かない人である。 実際、苦しみを乗り越えてきた人は、 過去の自分の過ちを実感しているし、認めている 過去の自分の姿である、他人の過ちも当然認めるようになる 。他人の過ちが、自らにふりかかろうと相手を非難することはない 。他人の苦しみに対して、慈悲が生じる。
法則19 無智と慈悲は、相反の心理である
無智に覆われて、 自分の過ちに気付かないうちはそれを改めることはない 改めずに、その苦しみから逃げているうちは その真の苦しさがわからない 真の苦しさがわからないうちは、他人の苦しさも理解できない 他人の苦しさが理解できないうちは、 他人の苦しみを哀れむことができない 智慧が生じて、観自在なって、初めて慈悲が生じる
法則20 (嫌悪・無智・嫉妬・執着)から(慈愛・慈悲・称賛・無頓着)へ
自分にとらわれるから、 様々な不自由の原因たる心理状態が生起する 。自分を超越し、他人に還元してこそ、 環境に左右されない。絶対的に自由な存在となる
どうですか?こんなのをいっぱい書いてます。
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/9918 よかったら、覗きに来て下さい。よろしくお願いします。
name=龍樹
”嫌悪・無智・嫉妬・執着から慈愛・慈悲・称賛・無頓着へ”と菩提心をお説き下さる尊いご投稿を有り難うございます。
同じように菩提心は、私にとっては、どこまでも「私が」「私が」と私に執着し続ける私、思い通りにならないことを思い通りにしようと苦しむ私、そんな私を指し示して下さいます。”嫌悪・無智・嫉妬・執着”から離れられない私ですが、だからこそ、そんな私をお教え下さる龍樹さんのお言葉の数々を有り難くいただいてます。有り難うございました。これからも何卒宜しくご教示下さい。
ご投稿4
_from=vivi@mx2.tiki.ne.jp
_subject=嫉妬に苦しまない方法 _
message=
|
name=びーびー
_subject=嫉妬の苦しみから逃れる法
_message=
わたしの経験を申します。 かって人を恨んだり、嫉妬したり苦しみました。
いまでもその心はわきあがってきますが、その日のうちに 反省ができ、決して翌日までもちこすことは無くなりました。 それは仏さまを念じ、お任せすることです。 20年ちかく続けてきました。 わたしがいつも思い浮かべるご文に、 「わろからんにつけても、いよいよ願力をあおぎまいらせば、 自然のことわりにて、柔和忍辱のこころもいでくべし。 すべて、よろずのことにつけて、往生には、 かしこきおもいを具せずして、弥陀の御恩の深重なること、 つねはおもいだしまいらすべし。・・・・」 (歎異抄16節) どうぞ、味わってください。 |
name=MT
ご投稿をありがとうございました。心より御礼申し上げます。
皆さまからのご投稿を無駄にしないようページを充実させていきます。