死にたいと思いながら生き延びた経験談を聞かせて下さい
最新のご投稿へジャンプ
-
- ご投稿にはハンドル名のみを掲載させていただきます。
- アドレスやHPのURLも掲載させていただける場合はその旨お知らせ下さいね。
-
- 皆様からのご投稿をお待ちしています!
問いかけのご投稿
- 私はいつも死にたいと思っています。でも、死ぬのが怖くて死ぬ勇気がありません。
- なぜ死にたいかというと何の為に生きているかが分からないからです。
- 目的もありません。
- 楽しいこともありません。好きな人もいないし好きなものもありません。
- いやなことばっかしです。
- 死にたいと思ったことはありませんか?
- 死にたいと思ったことのある人にどうして今生きているのか聞かせて欲しいです。
- 死にたいと思ったのに生き延びているという人、経験談を聞かせて下さい。
- わたしなりに精一杯の返信メールを書かせていただきましたが、
- どうか皆さんも、ご意見お聞かせ下さいね。
-
-
- ご投稿1
-
- 私も何度も死にたいと思ったことがあるけど、親のことを考えると死ねないな・・と思った
- 親より長生きしてあげることぐらいの親孝行はしなければと思って生きてきた
- 今、その頃の自分を振り返ってみると、そうではなくて、
- 本気で死にたいと思っていなかっただけかな・・とも思う。
-
-
- 「親より長生きしてあげることぐらいの親孝行はしなければ」とのお言葉、とても尊く思います。
- 同時にそれは親があなたを生かして下さってきたとも言えますよね?
- 私を生かして下さっている人たちを思うと、精一杯生き抜き死にきる人生でありたいとは思うのですが・・・
-
- 「本気で死にたいと思っていなかっただけかな・・とも思う。」と仰有いますが、自殺した人が「本気で死にたいと思っていた」、自殺できなかった人は「本気で死にたいとは思っていなかった」とは私は思いませんがいかがでしょうか?
- 「本気で死にたいと思って」いても死なない人もいるし、「本気で死にたいとは思っていなかった」人でも死んでいった人もいるのではありませんか?「生」と同じように「死」も人間の「思い」が、いかにあてにならないかを、教えてくれているのではないでしょうか?
-
-
- ご投稿2
-
- 本気で死にたいと思ったことのある人はこんなところ(goshinさん失礼)に書き込みはしないと思います。決して人には話さないでしょう。そんなことは当たり前のことです。死にたいと思ったことのある人と訊ねられて「はーい」と返事する人なんて絶対にいないと思う。
-
-
- 仰有るとおりかもしれません。
- そうかもしれませんが、こんなところ(^o^)だからこそ、どうか話していただけますようお願いします〜m(__)m
- どうか「は〜い」って元気なお返事を、死にたいなって思っているかたに聞かせてあげて下さいね。
-
-
- ご投稿3
-
- 何の為に生きているのか、そう聞かれて、パッと答えられる人は少ないのではないか?
- 答えられなくてもいいのでは・・
-
-
- 答えられなくてもいいのでは・・と私も思います。
- でも問うことはとても大切なことではないでしょうか?
-
- ”こころのファーラム”という掲示板に下記のような意見が書かれていました。
- ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 「何の為に生きているのか」なんてことを話したり「死とは何か」を語ったりしている人は
- 暇人であり、働いていない証拠だ。一生懸命働いていたらそんな”くだらないこと”を考えている暇はない
- ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 「何の為に生きているのか」を問わずに、はたして人間は死んでいけるのでしょうか?
-
- ご投稿4
-
- message=生き物の、生き食らい、増えることは、性質であるから
何らの意味があるわけではない。
- ただそのようにある。 そのようにあるからある。
- そのようになければなかったはずだ。
- これが、空である。
-
- どのように生きてもいいのだ
- どうせ生き物の則を越えることはできない
- どのように覚醒しても
- 結局は仏陀の悟りを越えることはできない
-
-
- name=じじ
-
-
- どうしてなのかアンニュイな雰囲気を感じてしまいました。
- わたしの読み込み不足でしたらお許し下さい。
- 「空なるが故に一切は成就する」ということが抜け落ちているような
そんな気がしました。
- よく分かりもしないのに生意気を言ってスミマ センm(__)m
-
- みなさんは、どう思われますか?
-
ご投稿5
- subject=「死にたいと思いながら生き延びた経験」
- _
- message=
-
- 私にふさわしいテーマですね。
- 私は、小学生の頃から死にたいと思い続けてきました。
- 毎日「死」を意識しない日は、なかったです。
- どうして死にたいと思ったのか、生きている意味がないからです。
- 幼心に感じる自分の存在というものは、紙切れと同じように思えました。
- 高校生位になると、実行にうつす事が何回もありました。
- そうです。「自殺」です。手首を切ったりして、何回も。
- でも、ここで重要なのは、軽く切っていたという事です。たいした傷に
ならないように。無意識に「生」に対する執着があったんでしょうね。
- いえ、本能ともいうべきでしょうか。違う見方をすれば小心者だと言えますね。
- 私は、この後何回も自殺をはかりましたが、すべて上手くいきません。
- 自分自身でどうして「死ぬ」事ができないのか悩む事になりました。
- おかしな話しですが、いくら理由をならべても自分自身では、腑に落ちないからです。
- 何かがある。生きている環境は、最悪といっていいほどの状況でしたし、生きていても
希望や未来は、見えないからです。見えてきた答えは、死んだら楽になれるけれど、
逃げているだけで、解いている問題を途中で投げ出して、また生まれ変わりをした時に、
同じ問題を解く事になるだろうと考えました。私は、死後の世界や輪廻転生を信じていましたので、
これが大きなきっかけとなりました。自分の状況も見方を変えれば、違う世界になるはずだ。
私が悪いと思うとそんな世界ができてしまう。現実を創造をしていくのは、自分だし、
私が変われば今も未来も変わる。
-
- ですが、おもしろい話し。最近付き合っていた人に急にふられ、自殺を考えていたり
しました。
- 大事な存在を失うわけですから、私にとって大きい事だったのですよ。
- でも、その人を忘れていくに従って、そんな人のために自殺するのがあほらしくって。
- 私の性格からすれば、もともと楽観的な所があるから、プラスに考える事ができるけれど、
もし何に対しても追いつめる方だったら、あの世いきだったかもしれません。
- そんな私を支えてくれているのは、やはり、大きな存在なのかもしれませんね。
こうして生かされているのですから。
-
- name=沙羅
-
-
- 1998.6.22
-
- 沙羅さん、ご投稿本当に有り難うございます。心から御礼申し上げます。
-
- > 幼心に感じる自分の存在というものは、紙切れと同じように思えました。
-
- わたしも17才ぐらいからそんなふうに思い始めました。オクテです(^o^)
-
- > 見えてきた答えは、死んだら楽になれるけれど、
- > 逃げているだけで、解いている問題を途中で投げ出して、また生まれ変わりをした時に、
- > 同じ問題を解く事になるだろうと考えました。
- > 私は、死後の世界や輪廻転生を信じていましたので、
これが大きなきっかけとなりました。
-
- そうですか、輪廻転生ですか〜(考エ込ム(^^ゞ)
-
- > そんな私を支えてくれているのは、やはり、大きな存在なのかもしれませんね。
- > こうして生かされているのですから。
-
- 生かされて生きているにも係わらず、自分の力で生きていると思いこんでいる私たちですよね。
-
- 自分の力で生きていると思いこんでいるから、人生に行き詰まるのではないのかな〜?
-
ご投稿6
- subject=何のためにいきているか。
-
- message=
-
- 何のために生きているか。
- 生きる理由にとらわれなくてもいいのでは?
- 人生って長いものだから、あせらずに生きていってもいいとおもいます。
- 生きてくことって苦しいことだけど
- 苦しいっていう感情は、楽しいっていう感情のとなりにあるんじゃないかな。
- (後ろかもしれない・・・。)
- いろんなことに目をむけていこうよ。
-
- name=タウ
-
- 1998.6.26
-
- タウさん、優しく温かいご投稿ありがとう!
- なんだかgoshinまで元気になります(^o^)v
- え、いつ元気がなかったかって(^o^?これでも辛いことも悲しいこともあるんです〜(^^ゞ
-
- 辛いことや悲しいことがあるから、
- ほんのちっちゃな喜びや楽しみをみつけることも出来るのかも知れないよね。
- それがタウさんの仰有って下さる「苦しいっていう感情は、楽しいっていう感情のとなりにあるんじゃないかな。
- (後ろかもしれない・・・。) 」ってことかな・・って思っています。
-
- 「いろんなことに目をむけていこうよ。」ありがとうタウさん(^o^)/
-
投稿7
- subject=「死にたいと思いながら生き延びた話です」
- _
- message=
-
- 生きていくのがいやになって、自殺未遂を何度も繰り返しました。
でも死ねないんですよね。 友人とそんな話をしていたら「それは死にたいんじゃなくて、生きていたくないん
だよ」 なるほどと思いました。 陸上にいるときは死にたいと思っても、ダイヴィングして水深30mのとこにいた
ら、 必死にレギュレーターを加えてる自分がいます。これをはずしたら死ねるはずなのに
・・・
- なぜ人間は生きてるかは分からないけど、本当は人間死にたくないんだな、と思いま
す。
-
- name=があこ
-
- 1998.8.28
-
- があこさん、ご投稿ありがとうございます。
-
- 「なぜ人間は生きてるかは分からないけど、本当は人間死にたくないんだな、と思いま
す。」との
- があこさんのお言葉が心に沁みます。
-
- 人間の心はフラフラし通しだけど、身体は一貫して生きようとしてくれていますよね。
- 身体が心を一生懸命いたわってくれてるのに、心のほうは身体にお礼なんか言わないんですよね。
- があこさんのお話を伺いながらフッとそんな自分を思いました。
- 「なぜ人間は生きてるか」「何のために生きるのか」来月にはそんなテーマをこの広場で
- 取り上げさせていただきたいな・・・って思いました。そのときには連絡させていただきますので
- また覗いてあげて下さいね。があこさんのお便り、とても嬉しかったです。ありがとう(^o^)vv
-
-
ご投稿8
subject=死にたいとおもいながら..生きてます。
message=
息子が死んだとき、本気で死を考えました。でも生きてます。当たり前のことですが、「死」は別れであり、悲しみです。人が死ぬとその人は少なくとも「この世」から消滅してしまい、想い出だけが残ります。その想い出が残された人たちを悲しませるのです。(想い出は必ずしも悲しさだけを与えるわけではありません。それだったら捨ててしまいたくなりますものね。)死ねばもう一度息子に会えるだろうか。そう考えて、キュブラーロスや立花隆の本を読んだりしましたが、結局死後の世界や、輪廻転生などがほんとにあるかどうかは死んでみないとわからない。それに息子の死に激しく悲嘆にくれているのは私だけではありません。もし私が死んでしまったら、その人たちに新たな悲しさを与えることになってしまいます。それはあまりに忍びなかったので、死ぬのはあきらめました。
死んだら「あの世」に行けるのでしょうか。もしかしたら「死」は終わりではないのかも知れません。でも「あの世」はほんとに極楽なのでしょうか。「この世は仮住まい」ともうしますが、「あの世は終着点です」ともいえないような気がするのです。ひょっとしたら、「あの世」にも死が存在し、「あの世パート2」があるのかも知れません。ともすると、現世よりもつらい目に遭うかも...。
「死」というものを考えるのが、無駄なことだよと言っているのではありません。でも忘れてはならないのが、今ある「生」のことではないでしょうか。死と生はワンセットで取り扱わなくてはならないものだと思います。どちらが欠けても困るんじゃないでしょうか。「男と女」、「雨の日と晴れの日」、「酒と肴」...ちょっと違うか。
今は死ぬのはあきらめましたが、私は今でも「死んだら楽になれるかな」とか、「生まれ変わるなら、人間じゃない方がいいな」とか考えてしまいます。でもいたずらに死にあこがれて、ポジティブになってしまうと、今ある「幸せ」や「楽しみ」まで、見失ってしまうかも知れません。幸せは探せば結構その辺にあるかも知れません。実は私にも見つけることができました。死は別れであり、悲しみだと書きましたが、実は大切な家族が死んだとき、いろんなことを考えさせてくれるものです。その悲しさが逆に幸せを浮き彫りにすることだってありますから。
結局私にとって、「死」とは、「生を考えさせるもの」でしょうか。
name=まこっちゃん
- 「私にとって死とは」とに二重掲載をさせていただきました。
- 「わからないあの世」や「あてにならないあの世」ではなく確かな確かな浄土が今の私たちの生を支えて下さるっているのではないでしょうか?
- まこっちゃんに届くようすけちゃんの声は確かな浄土を示して下さっておられるのではと思います。
-
- う〜〜ん、なんか言いたいことと違うような・・・・
- ごめんね、なんだかレスを付けるときは背伸びして気取ってしまいます(^^ゞ(^^ゞ
- 「死ぬのをあきらめた」と仰有るまこっちゃんのお心を思うとホントは黙ってうなずくだけなのに、何か書かなきゃ書かなきゃって・・・(^^ゞ思うだけで言葉になりません。だから、まこっちゃん、心だけ。
- ありがとうございました。
ご投稿9
subject=死にたいと思いながら生き延びた体験談
message=
最愛の主人に、突然先立たれたとき、正直言って死にたいと思いました。
いえ、死のうと思いました。どうやって死のうか、とまで考えました。
でも、その時に私のお腹の中に、待ち望んでいた彼との間の子どもが育っていたので死ねませんでした。思いとどまりました。
それでも、主人が死んだという現実を改めて思い知らされたとき、気が狂うほどの切なさが襲い、「彼を返して!連れてきて!」と絶叫してしまっていました。もうどうでもいいここから逃げたい、こんな現実から逃げたい、と。
その時、母が言ってくれた一言で我に返ることができました。
「殺してあげようか?」
私が死んだらこの子も死ぬ。せっかく授かって、一生懸命生きようとしている小さな
命を 奪えない。そう思った。そしてそれから頑張った。この子だけを支えに生きてきた。
いろんなしがらみに目をつぶって・・・。
母と子どものおかげで生きています。
今、その子も産まれて一ヶ月経ちました。
何か一つでも支えになるものさえあれば、思いとどまれるってこと実感しました。
-
name= ま み
-
-
- まみさん、そう10月19日に元気過ぎるぐらい元気な赤ちゃんが生まれてきて下さったんですよね。
- まこっちゃんご夫妻とかどれみちゃんとか金ちゃんとかwebでしか出会ったことのない皆が一緒になって大喜びしました。
- 赤ちゃんはまみさんだけにでなく、私たちにまで温かさと優しさと元気を運んで来て下さいました。
-
- そうなんですか、お母様がそんなふうに仰有って下さったのですね。胸が詰まって言葉になりません。
- ごめんなさいね。ホントにレスを付けるのが苦手です(^^ゞ
-
- そのお母様の思いがまみさんに、そして今度はまみさんから赤ちゃんに、きっと通っていくんですね。
- まみさんにありがとう、そして赤ちゃんにありがとう、お母様にありがとう
- それから、自慢のパパにありがとう。
-
ご投稿10
subject=死を決意しながらも生き延びた理由 _
message=
今から7年前の事− 高校での生活を無事修了し やがて迎えた社会人としての生活は
人間関係の拗れから、僅か半年で躓きました。 唯一の同性であり、毎日顔を合わせている先輩と間が
日に日に悪くなる一方だったのです。
職場を退職したものの 長い間続いていたいざこざで心身共に疲れ切っていた私は
部屋に引き篭る日々を送った果てに 『自殺』を思い立ちました この世に何ら『未練』がないと自覚したからです。
数ヶ所の薬局で睡眠薬を買って飲んだものの、なかなか死ねず
相変わらずぼんやりとした毎日を送っていた私を 『崖っぷち』から救ったのは
ある特撮番組に出演していた俳優さんでした
テレビの中での彼はとても輝いていて いつしか私は彼と直に話したいと願うようになりました。
唯、その為には自分が置かれている状況を打破しなればと でなければ彼に合わせる顔がないと思ったのです。
でも、結局、願いは叶えられせんでした。 両親が猛反対したのです。 後になって父が話してくれました。
−今の心の状態では、とても東京へ それも一人で行かせられない−と その時、私は感じました
私が自殺を図った事を両親は知っていたのではないか−と
前の職場を辞めてから2ヶ月後 私は今の職場に就きました そして6年
紆余曲折しながらも何とかやっています 全てはあの時『出会った』俳優さんのお蔭だと思うと
感謝せずにはいられません。 そして父の『言葉』を 忘れてはいけないと思っています。
name=小夜
小夜さん、ご投稿ありがとうございます。
ご縁によって生かされて生きているわたしたちであることを、今更ながら小夜さんのご投稿にお教えいただいてます。
そうですよね、「お蔭さま」ですよね。自分の力だけで生きているんじゃないんですよね。そういうことにほんの一瞬でも思いを寄せることが出来ると、頑張りすぎて疲れたときも、ちょっと肩の力を抜いて自分に優しくしてあげられるかもしれません。
これからも、辛いこと、死にたくなるようなことはいっぱいあると思うけど、そんなとき、小夜さんのように、今まで賜ってきた、そして今賜っている「お蔭様」を忘れないでいたいなと思います。
ありがとう!!小夜さんとご両親とテレビの中の命の恩人さん(^o^)/
ご投稿11
subject=死にたいと思いながら生き延びた経験談
message=
私は何年か前に抗精神薬・導眠剤を大量に飲みました。
当時の日々の諸々と情緒不安定、元来強いタナトスが重なった結果です。
実行の朝、頭はとても冴えていて、冷静で、「これで目が覚めてしまったら諦めて生きよう。目が覚めなければ諦めて死のう」と自分の生命力を試しました。目が覚めた時にも会社に迷惑がかからないよう、三連休前、土曜の朝に決行しました。そのくらい冷静でした。
3日間眠り続けて、4日目の朝目が覚めました。
無意識のうちに起き上がっては倒れたらしく、顔中傷だらけでしたが薬の副作用かと深く考えずに出社しました。体が重かった。
次の日、やはりおかしいので病院に行ってから出社しようと思い、病院で見てもらったところ、即入院となりました。自分で思ったよりまずかったようです。
入院している間は親に頼んで買ってきてもらった般若心境を読んで空(クウ)について考える日々でした。多忙から突然暇になったので。
自分との約束、簡単には死ねないという悟り、入院生活で分かった親の心配、そういったものを胸に今は生きています。今も死にたいけど、生きています。
name=ヴァリィ
「目が覚めてしまったら諦めて生きよう。目が覚めなければ諦めて死のう」
「諦めて生きる」ってすごいことだと思う。
「諦める」って言葉は「明らかに見る」って意味があるんだってね。「死にたいけど諦めて生きる」ってのはひょっとして一番強い生き方なんじゃないかなって思ったりしています。
当たり前のことをどっしりと引き受けていける強さをヴァリィさんが教えてくれます。
PS.優しいあたたかなメールを有難うございました。
-
- ご投稿をありがとうございました。心より御礼申し上げます。
- 皆さまからのご投稿を無駄にしないようページを充実させていきます。
-
-
戻 る