法話・講話・講義録のご紹介
親鸞の教えを伝えるお寺
ご住職と若き(^o^?ご門徒さんたちが共に運営して下さっているこのサイトの願いは阿弥陀さまの願いです。
いつもご門徒さんと共にある「ご門徒さんのお寺」のあったかさが伝わってくるサイトです。 |
HPの管理者の方のご許可を得て、掲載の法話・講話の目次を紹介させていただきます。
茶色の文字はリンク先HPからコピー&ペーストさせていただいたものです。
私たちの願い
存明寺、それは聞法の道場。そこで人々が自由に出会 い、お互いに生きることを確かめ合える場。 ご本尊・阿弥陀如来を中心にしながら、宗祖親鸞聖人と出 会い、私たちが担うべき課題と出会い、そしてなによりも肝 心の自分自身と出会う場。 南無阿弥陀仏、それはいのちの唄だと聞きます。私が私 の人生を精一杯生きていくことを、決して絶えることなくうな がしてくださる、いのちの唄だと聞きます。そのようないのち の唄を声高らかに歌いながら、そして聞きながら、この世を 深く、やさしく生きていきたい。それが私たちの願いです。 (存明寺スタッフ一同) |
INDEX
寺報「生きる」切り抜き
みっけ♪
親鸞は、私たちのものの見方を「有漏の分別」(うろのふんべつ)という言葉で教えています。有漏・・それ は漏れることが有るということです。どんなにものごとを見通しているつもりになっていても、そこには必ず見え ないもの、見えない人々がぬけ落ちてしまっているということです。 |
みっけ♪
亡き母を拝んでいるのではなく、結局のところ我が身が安らかになることをのみ拝 んでいたということに気づかされたのです。 真の供養とは、亡き人を拝むことを通して私の本当の姿に出会い続けていくことです。そして本当の自分の 姿に出会うことがそのまま母の死を無駄にしない道、亡き人と再び出会う道へと通じていくのではないでしょう か。 |
みっけ♪
「ところで私たちは ものごとを体験せずに「知ってしまう」知恵があります。実際にそのことをやってもいないのに「ああ、あれはこ んなもんだ」という形で自分の中にひとつの答えを持ってしまうということです。しかし、たとえそれがどんなに 立派な答えだとしても、実際に自分が体を動かして「知った」答えでない故に、結局のところそれは自分が思 い描いたイメージにしかすぎず、思い込みの世界で生きているにすぎません。一体「現実を生きる」というの はどういうことを言うのでしょうか。」 |
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