法話・講話・講義録のご紹介

   「ようこそ神通寺報のホームページへ」


HPの管理者の方のご許可を得て、掲載の法話・講話の目次を紹介させていただきます。
茶色の文字はリンク先HPからコピー&ペーストさせていただいたものです。

このホームページは、浄土真宗のご法話を中心としたページです。
副住職により「神通寺報」として制作・配布されたご法話をベースにして、このページが制作されています。
したがって、文章中心のページですが、ぜひご法話を楽しんでいって下さい。
毎月1回、新しいご法話を掲載する予定です。
 

最新更新
No.64 若き今、仏法をたしなめ(2002年7月26日)

「あした聞けばいいや。」「仏法を聞くのは、まだ早いよ。」そういって、今聞こうとしない
私に、蓮如上人は厳しく問いかけておられます。

「今、ここで、私が聞かせていただく」仏法であるがゆえに、尊く、素晴らしい。そのみ
教えを聞かせていただきましょう。




No.55 悲しみと憎しみを乗りこえて(2001年9月21日)

アメリカ合衆国で起こった、あまりに悲惨なテロ事件。卑劣なテロ行 為を絶対に許さないという思いと、この悲しみを二度と繰り返しては ならない という私の思いを、ご法話として書かせていただきました。

No.54 歩道橋圧死事故に思う(2001年8月 10日)

明石市で開催された花火大会で起きた悲しい事故を通して、私が どう問われているのか。あらためて、お念仏に問い聞いていきたい と思いま す。

No.53 住職補任式にて(2001年6月 21日)

総代さんとふたりで京都のご本山 に参拝し、住職補任式を受けてき ました。その晩、総代さんが仰った ことを通して、私のありのままを見つ めさせていただきます。

No.52 言葉を聞く  こころを聴く(2001年5 月23日)

浄土真宗は「聴聞(ちょうもん)」が大切 だと言われますが、何を聞き、何を聴くの でしょう? ケーキの買い出しで起きた ちょっとした行き違いを通して、話し合い 法座の意義をもう一度確認させていただ きます。

No.51 春の憂鬱 (2001年4月23日)

毎年、春になると私は「憂鬱」になりま す。特に、花粉症は大きな悩みの一つ でもあります。この花粉症のメカニズムを 通して、私自身の生き方についてもう一 度振り返ってみたいと思います。

No.50 我執のメガ ネ 2001(H13)年3月26日

「どうして私だけがこのような苦しい思い をしないといけないのでしょう?」私がい ただいたこの問いに、私としてどうお答 えしていくのか、を書かせていただきまし た。

No.49 選ぶ私・選 ばれた私(2001年2月21 日)

人生において、様々な選び取りをしてき た私ですが、それと同時に、実は私が 「選ばれていた」ということに気付かされ ます。私はいったい、何に選び取られた のでしょうか?
   
No.47 報恩講 い のちを見つめて(2000年 11月22日)
   
子どもたちから、お年寄りから、対話を 通して「いのち」のあり方について考え てみました。
報恩講というご縁を通して、もう一度「い のち」を見つめてみたいと思います。
     
No.46 浄土に往 く・浄土にかえる(2000年 10月21日)
   
私たち念仏者は、「浄土に往く」と同時 に、「浄土にかえる」とも表現されます 。。
「往く・かえる」という言葉にある、とても 深いぬくもりときびしさの生き方を聞かせ ていただきます。
    
No.45 善人と悪人(2000年9月26日)
 
忙しい日々を送る中で、私の心の中に 渦巻いた思い、「私はこれだけやってい る、私は間違ったことをしていない・・・ 。」
私の恩師でもある浅井成海先生のご法 話を通して、親鸞聖人がお示し下さった 「善人と悪人」の意味を聞かせていただ きます。
   
No.44 聞きたいこと、 伝えたいこと(2000年8月9日)
  
「お聴聞が大切です」といわれるのが、 私たちのみ教えの特徴でもあります。
では、いったい何を、どのようにお聞きし たらいいのでしょうか。
「こころの名医」でもある阿弥陀様にお 伺いしましょう。
  
   
NO.43 ノーマライゼーシ ョンに学ぶ(2000年6月22日)
 
障害者は、「〜できない」のではない。周り が、「〜させない」のではないか。
従来の「〜してあげる」という福祉から、「共に 生きていく」という福祉へ。
この「ノーマライゼーション」という思想から、大 切なことを聞かせていただきます。
 
  
  
「17歳」へのメッセージ(2000年5月 20日)
 
立て続けに起こされる少年犯罪のニュースを見ながら、「何かが おかしい」と強く感じているのは私だけではないと思います。
念仏者の立場で、何が問われ、どう対処すべきなのか、共に考え てみたいと思います。
  
  
選び取る・選び捨てる(2000年4月 21日)
  
お部屋の引越を通して、「選び捨てる」ことの難しさを実感しまし た。
親鸞聖人や法然上人は、「ただ念仏一つ」という生きざまをお示し 下さってます。
私たちは、念仏者の生き方を聞かせていただきます。
     
こんなはずじゃなかった (2000年3月22日) 
 
「私の老後は、こんなはずじゃなかったんですけどね・・・。」
「こんなはずじゃなかった」から、「これがわたしのありのまま」と聞 かせていただく人生へ。
そこに開かれてくる喜びの人生とは、どんな生き方なのでしょう か。  
 
本当の愛国精神とは〜ヤスクニに問 う〜(2000年2月24日)
 
戦争で生命をなくされた先達方は、私たち残された者に何を願 い、どう生きることを望んでおられるのでしょう。
そして、私たちが本当に「国を愛する」ということは、いったいどう生 きることなのでしょう。
一人の念仏者として、「ヤスクニ」という問題に問いかけたいと思い ます。
   
   
「講」ということ〜御同朋の社会を目指 して〜(2000年1月14日)
  
「親鸞は弟子一人ももたず候」「御同朋・御同朋とかしずきて仰せ られけり」という親鸞聖人の精神は、まさに私の生命観を問いただ すものです。
その精神を、「講」という念仏者の生き方を通して問いかけます。
   
  
念仏者の生命観
          〜一枚のシー ルを通して〜(11月20日)
  
大切な身内の方が亡くなられたとき、私たちは一枚の「シ ール」を玄関に貼ります。
そのシールにはどんな意味があり、私たちはどう受け止め るのか、生命観というテーマで考えてみましょう。
  
   
聞法の道場(10月21日)
  
おかげさまで、神通寺の本堂も新しく、使いやすくなりまし た。
お寺の本堂とは、「聞法の道場」であるという再確認をさせ ていただきながら、阿弥陀様のお姿について聞かせてい ただきます。
  
遇えてよかったね(9月19日)
  
久しぶりに夫婦ゲンカをしましたが、子どもの一言で仲直り しました。
ひとつ屋根の下で暮らしていても、お互いが本当に「出遇って」いないこともあります。
今、ここで、あなたと遇えてよかったというよろこびを聞かせていただきます。
  
お墓参りの心得(8月11日)
  
お盆の帰省とともに、お墓参りをされる方も多いことと思います。
私たち念仏者は、どのようなお心でお墓にお参りさせていただく のでしょうか。
ご先祖様への想いを通して、お念仏のみ教えを聞かせていただ きます。
  
  
問われ続ける生きざま(7月19日)
  
「買ってはいけない」という本を読みながら、私が問われているこ とっていったいなんだろうと考えさせられました。
「〜してはいけない」と責めることが、私たちの生き方なのでしょ うか。
みなさんは、どう思われます??
 
 
「法名」の名のり(6月19日)
わたしたちが、生きている間に「法名」をいただく帰敬式(おかみ そり)は、どんな意味があるのでしょうか。
ご門徒さんの研修会を通して、法名の意味と私の生きざまを考 えます。
 
つながっている生命(5月19日)
お釈迦様が説かれた真理の世界を、親鸞聖人はお念仏のみ教 えとして私たちにお伝えくださっています。
そのことを、「縁起」ということばを通して、そしてつながっている 生命の願いとして、聞かせていただきます。
還相恵教さんの新しいエッセイ「阿弥陀様に救われるということ」 アップしました。(4/28)
EXカービング・内足ターンのムービーを掲載してます。(4/27)
 
念仏の生活、念仏と生活(4月20日更 新)
親鸞聖人、そして蓮如上人が私に伝えてくださったのは、「念 仏の生活」でありました。
ところが、それを「念仏と生活」にしてしまったため、私の生き様 とお念仏を分けて理解してしまったのです。
それをもう一度「念仏の生活」にしていこうというのが、私たちの 教団が推し進める「基幹運動」です。
  
新しいエッセイです。 幸せのぬくもり 〜さっちゃんからの手紙〜 (3/27)
エクストリーム・スキーのムービーがあります。興味のある方はどうぞ。(3/15)
  
脳死問題を考える(3月20日更新)
  
「あなたは先日の脳死判定とと臓器移植について、どう思われ ますか?」と問われて、
「役に立ったのだから、良かったじゃないですか。」
と答えた方がおられました。
皆さんなら、何と答えられますか??
  
 

 
「きびしさとあたたかさ」 (2月24日更新)
  
お念仏のみ教えは、ただあたたかさをもって無条件に救ってく ださるのではありません。
また、きびしさをもって、私を断罪し、責めるだけのみ教えでも ないのです。
きびしくもあたたかい、阿弥陀様の願いを聞かせていただきます。
  
「人生を生ききる」  1/15
 
「こころのバイアフリー」  11/21
 
「本当のよろこび」  10/23
  
「願われている生命」 9/22
 
「人生の旅」  8/ 9
      
「悪人の救い」 7/20

「小さな生命の願い」 6/20

「かわいそう」の向こう側

商売の繁昌・一宗の繁昌

日々の暮らしを営みながらのお念仏でありますが、商売をしながらのお念仏とはどのようなものなのでしょうか。
ご法義の繁昌ということを、蓮如上人にお聞きしながら、あらためていただきたいと思います。

我が子を亡くした母からの手紙(98.3.12)

最近、殺伐とした子供のニュースが、テレビや新聞を賑わしています。
いったい、念仏者にとっての家族・夫婦とはどうあるべきなのか。
その答えを、親鸞聖人と恵信尼さまの関係を通して、いただいていきます。


家族と夫婦 (98.2.7)

最近、殺伐とした子供のニュースが、テレビや新聞を賑わしています。
いったい、念仏者にとっての家族・夫婦とはどうあるべきなのか。
その答えを、親鸞聖人と恵信尼さまの関係を通して、いただいていきます。

病気に教えられる

身近な人たちの病気を通して、念仏者にとっての「病気」とは何なのかを問うてみました。
私自身の経験などを交えながら、生活の中の病気と念仏のあり方を考えてみたものです。

人生・よりどころ・報恩講

「今の日本人には宗教心がない」といわれます。
私にとっての宗教とは人生のよりどころであり、だからこそお念仏をよりどころとした生活とは何かが問われているのだと思います。


母なるはたらき マザーテレサに想う

母親のはたらきを私たちに届けてくださるがゆえに、マザーと呼ばれ、そしてこの世を去った一人の女性に、大切なことを教えていただきました。
あらためて、親の願いに生きる私たちの姿を見つめてみます。

「火垂るの墓」に思う 〜お盆の本当の意味〜

妹を助けるために、次々と罪を重ねていくお兄さんの姿に、お盆の起源である「盂蘭盆経」のエピソードをかさねあわせてしまいます。
お盆の意味について、念仏者としていただく味わい方をお取り次ぎしました。

神戸の殺人事件に思う 〜本当のお慈悲とは〜

神戸の小学生殺人事件の犯人が捕まったとき、中学生の犯行だと聞いた私は、言い知れぬかなしみを感じました。
そのかなしみは、犯人が「子ども」であったからです。
なぜ、子どもだとかなしいのでしょうか。
お慈悲の心をテーマに、この事件を考えていきます。

人生のよりどころ 〜ただ念仏のみぞまこと〜

私たちが求めている「幸せの3大条件」をもとに、人生のよりどころを考えていきます。
親鸞聖人は、単なる幸せ・幸福を求められたのではありませんでした。
では、親鸞聖人が求められたのは・・・。

老いて生きること 〜岐阜県大野郡 宮村の「臥龍桜」に思う

歳をとると、あれができなくなった、これができなくなったと、悪いほうに考えてしまいます。
でも、老いていくことは、本当に悪いことなのでしょうか。
老いることの意味、人間としての生き方にスポットを当ててみます。

念仏者にとっての生命の世界 〜クローン動物誕生に思う〜

まったく同じ遺伝子を持つ生き物・・・クローン動物の誕生に際し、私たちはその問題をどう捉えていったらいいのかを考えます。
単にその善し悪しを語るのではなく、命の捉え方を考えてみようというご法話です。

月を指す指

お釈迦さまの説かれた「お経」は、月を指す指と一緒です。
真理とは一体何かを考えたご法話です。

カッコウに学ぶ

阿弥陀さまが、「すべての生きとし生けるものを救う」と誓われたのは、ひとえに苦悩の中にある私を助けんがためのお誓いであったといただきます。
その「悪人正機」といわれるお救いを、カッコウの生態を通して聞かせていただきます。

いただきます!

ご飯のときに、「いただきます」といって合掌するのは、本当はこういう意味があったのです。

手袋を取るのがお聴聞

氷屋さんは、たくさん氷をさわっているから、氷が冷たくないのでしょうか。

位牌と過去帳

私たちのお仏壇には、どうして位牌を置かずに過去帳を置くのでしょうか。

青色青光 赤色赤光

お花のことかよく分からない私は、「これは高い花ですよ」といわれると、ああ、いい花なんだなと思い込みます。
でも、きっとどの花も、一生懸命にその命を輝かせているのです。

いじめに対するひとつの試み

ある学校で、いじめを防ごうと、「相手を誉めるカード交換」をはじめました。
すると、いじめっ子の○○君は・・・。

こほりおほきにみづおほき さはりおおきに徳おほし

阪神・淡路大震災のとき、「地震が東京でなくてよかった」といった大学教授。
高山線の落石事故のときに、「知り合いが汽車に乗ってなくてよかった」といった私。
その根底にあるものは、一体何なのでしょう。
  

  

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