信仰のない人が死んだら、いい人でも地獄へいくの?


 

大切な人を亡くしたときの底なし沼に落ち込むような悲しみの中で
もう、2度と顔を見ることも声を聞くことも出来ないことに絶望します
そして
「いや自分が死んだあと、どこか死後の世界で会えるかも知れない」
と、亡き人のゆくえを探そうとするでしょう
 
いろいろな宗教や思想が死後の世界を語っています
また同じ「仏教」を名乗っていても、それぞれの捉え方があります
 
ゴシンが亡き父のゆくえを探していたときに出会った言葉が釈尊の次の言葉です
 
有無の邪見(存在を「ある」とみるのも「ない」とみる間違った見方)
 
この言葉については各宗派によって解釈が違いますので
あくまでもゴシン個人の解釈だということをご承知下さいね

 


ゴシンのQ&A【C2】

 

「仏教は極楽、キリスト教は天国、そんなら無神論者は何処へ行くの?
いい人が地獄に堕ちるはずないよね?」 
 
「私は亡くなったある人にもう一度会って、どうしても謝りたいことがあるの!
でもその人は無神論で地獄、私は仏教で極楽だと会えない・・
だから死後の世界のことは人間には分からないなんて言ったって納得出来ない」
 
「人間には分からないから仏教、お釈迦様に教えてもらうんでしょ?」
 
「そりゃそうだろうけど、死後の世界があって、
死んだ人に再会できると思うと死ぬのが怖くなくなるような気がする」
 
「そんな冷たいこと言わなくてもいいでしょ。
ホントにあるとは思えないから、教えて欲しいのよ」

「ゴシンがどう思うかじゃなくって、お釈迦さんはどういってるの?」

「”有る”でもなく”無い”でもないなら分からないってこと?」
「いくら私には分からないと分かっても不安なんだよ。」
「分からない・・という自分の分限?」
「私だって、生かされて生きているとは思うよ」
「頭でわかってるのか、心で分かっているのか、お腹でわかっているのか、
どうしてゴシンにわかるの?」
「グチャグチャ言ってるけど、死んだ人がどこへ行ったかはわからないってことだよね?」
「それは思い」
「浄土って死んでからの世界じゃないの?」
「なんだか、余計わかんなくなってきちゃった・・浄土って死んでから行くところじゃないんだ」
「信仰のない人が地獄行きかどうかも分からない?」
「それも思い」
「当たり前じゃない、全然答えになってない。これで例の赤字が出てきたら、もうキレルからね。」
「こんなの読んでも分かる人いないよ。ちょっと考えたほうがいいと思うよ」
「亡くなったある人にもう一度会って、どうしても謝りたいことがあるの!」
「え!?今会えるの?」
そのことについて【C3】で話そうね。
           
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