(99. 3.18現在 ご投稿件数 14件)
uryuu@fki.fitweb.or.jp
ごあいさつ
このHPには1997年の9月から12月まで「みんなの掲示板」というコーナーがあって掲示板を設置させていただいていました。
そこでは集まって下さる皆さんの中から問いかけがあるとそれぞれの方が自分の意見を書き込んで下さいました。それらをテーマ別に分け「みんなの掲示板での問いかけ」というコーナーに保存しておいたですが、掲示板閉鎖後、この「皆さんからの問いかけとご意見」を作ったときに、それらもこのコーナーへ移させていただきました。
掲示板閉鎖後はCGIかメールでご投稿をお願いしておりましたが、この問いかけに関しては今回98. 7.12に初めてCGIからのご投稿を頂戴いたしました。それで、どのような形で掲載をさせていただこうか考えましたが、このまま、今までどおりの「みんなの掲示板での問いかけ」に続けて、「ご投稿12」に加えさせていただき、レスのようなものもつけさせていただきました。
掲示板のようにはいきませんが、どうかこれからも皆さんのご意見をお聞かせいただけますよう、心よりお願い申し上げます。
|
みんなの掲示板での問いかけ
0136//*死*とは?? (1997/11/14 06:32:39)
この何日か死についてしみじみと考える機会が有りました。人によってこれ程までに考 えが違うのだろうか?そうですよね今まで生きてきた総てが・・・その人の人生観が総て てきますね。私の母は有り難い事に天寿全うで、私の家にての介護で最後まで私にあま て、私の胸の中で「ありがとう」の言葉をのこして、お浄土に行きました。私たち親子にと ては*死*の話は決してタブーではなく毎日たのしく、「はやくお爺ちゃんが迎えに来て れないかな〜〜」などとの会話でしたし。死んだら大好きなお爺ちゃんの所にいけるの でおめでとうと赤飯をたいて皆にくばってな・・・としんそこ楽しみにしていました。さすご 近所にはくばれなかったが、息子(孫)はだい好きなお婆ちゃんの仏前に赤飯を供えて れました。私も母の死は納得できたのですが、襲ってくる悲しみはたとえ様もないもので し母の葬式を終えて骨あげを待つ事が、出来ず一人でリックを背に四国遍路に出ました 其のことは色々な所に書かせて頂いています。死という言葉を語るにはこのページには とて書ききれません、それぞれが本にする程の思いをいだいている事でしょうね。皆様に とっ死とはなんですか?もちろん軽々しく宗教家でもない私たちが論じる事ではないか も知れいけれど、だからこそお聞きしたいのです。貴女。貴男。貴方。アナタにとって* 死*とは?????
0137//定期便 (^^;; (1997/11/14 07:31:20)
人それぞれ「死」については意見があるでしょうね。 待ち望んだ「死」・自ら選んだ「死」・思いがけない「死」等々 ホント書こうとしたら この掲示板壊れちゃう位書ききれない量の言葉が出るでしょう・・・・・
さぁ!みんな元気で今日を生きませう!!・・・・
「死」っていう言葉で私はちょっと変わっているのかも知れないけどすぐに連想する言葉 が「平等」って言葉です。「平等」から連想するのは普通「平和」とかなのでしょうけど、 私の場合は「死」。生きとし生きるものすべてに平等に与えられているものだから、きっと 「大切なもの」なんじゃないかな・・と思っています。
この掲示板を見て下さっている方はどんな連想をされるのかな〜・・「死」なんて忘れて いたいほど辛い「生」ではあるけど・・よかったら、是非、書き込んでみて下さいね。アド レスや本名を書かなくてもハンドル名だけでいいから・・待ってます。
0139//わたしにとって死とは (1997/11/14 15:54:53)
わたしが「死」という言葉から連想するのは「暗黒」です。恐ろしくて考えるのもこわいけ ど考えてしまいます。
0140//直りました! (1997/11/14 20:10:50)
まだ、僕の年齢だと死を直接意識する事はなかったですね・・・ 自分で死のうと思った事もないし、又直面するような場面も なかったから。僕にとっては死とは、誰かが必ず悲しむもの・・・かな
0141//死=生 (1997/11/14 22:21:34)
年々に死にたいする、イメージが変わるけれど、やはり母が残していってくれものは、死 に対する考えです。私は何故か暗いイメージが全く無いのです、母は病弱だったけれ ど、立派に生きたし、とても死を楽しみにしていました。まるで遠足に行く子供のように、 大好きな大好きな父の所に行けるって・・・そのおかげで、死の問題はいつも私の家で は明るい?話題でした自然でした。この世が電車とするとちょっとバスに乗りかえるって いうくらいの感じ、おかげで死はやすらぎというイメージかな・・・勿論、精一杯生きてこ その死ですよ。母の死後に死が少しも怖く無くなりました。今日を精一杯、生きようと思う ようになりました。母が体の弱い私に残してくれた最大のプレゼントです。私にとって死= 精一杯生きた答えですです
0144//今日は、家から・・・定期便 (1997/11/15 06:37:38)
精一杯生きてこその「死」・・・そうですね。人間に与えられた平等な最終目的地・・・・ どの様な道を通るかは人それぞれ・・・・・私がHPにも書いてある「今この時を後悔 しないよう謳歌しましょう。」=「精一杯生き抜く」って事です。 「生」と「死」はいつも隣り合わせ、けして避けられない目的地###でも、怖いことでは無いと思いますよ。精一杯生きていれば・・・・・・・・・・・
0143//あれ? (1997/11/14 22:40:52)
死は 暗黒、死は悲しみ、それから「やすらぎ」・・精一杯生きてこその死、生の答え・・n〜m ・・私にとっては・・?
昨夜のどれみちゃんの「精一杯生きてこその死」を読んでいて、私も、けんさんの奥様 のお言葉を思い出しました。精一杯生きられた方から、私たちはなんて大きなものを残 していただいいるのでしょうね!
0147//生前中は (1997/11/15 17:08:05)
お葬式の時に「生前中はいろいろお世話になりました。」といいますが、死ぬ前だった ら、死前中ですよね。「生前中」というのは、浄土に生まれる前という意味です。知らず 知らずのうちに、死んでからの行き先を決めているのです。
0152//死といえば (1997/11/15 22:53:28)
人は肉体の死を迎えた後、自分を知ってる人の死によって、完全に死ぬのだと思いま す。
ゆうこさんの書き込みを見て思い出しましたが、死のイメージというと暗黒がポピュラーな んですけど、以前テレビで、自殺未遂をした人が臨死体験をした時のことを、「なにもな い状態。無であった。無と言っても、真っ暗闇でなく、ちょうどテレビを消したあとのように プツンと何もなかった」と話してらっしゃいました。(死後の世界があるかどうかは別にし て)想像すると暗黒よりそちらの方が数段怖く感じました。ちょうど、「死にたいなー」と思 ってた時だったんですけど、それを聞いたらあまりにもリアルに想像できてしまって、自殺 は出来ないな、と感じました。
あと昔の話。、私も母もそのことはよく覚えているのですが、私が3歳ぐらいの頃母とこう いう会話をしたことがあるんです。 コニ 「(フランス人形を見ながら)お人形さんっていい ねえ」 母 「どうして?」 コニ 「だって、歳とらないもん。ずっときれいでいられる よ」 母 「コニちゃんは歳とりたくないの?」 コニ 「ウン。私、100歳も200歳も生きたいの!」
と、このように私は小さい頃から、老いることと死ぬことには非常に恐怖心があったんで すね。実際は人形にだって老いも死もあるんですけど。え〜と、それからいろいろありま して、それでも今日までこの肉体を着て生活しています。
今は、自分自身の死は別にいいんですが、人の死が怖くなりました。特に子供が産まれ てからは。この子もいつか死ぬ。この手も、この目もすべて灰になるのだ、と思うとどうし ても我慢できませんでした。それからは、花の芽を間引いたり、虫を殺したりすることもな かなか出来なくなりました。もう、まわりじゅう命だらけ!でも、食べて生きている限り、必 ず殺さずにはいられないわけなんだけど。
一休さんの歌の中で一番好きなのは 『とどまると 思はばそこに とどまれよ 行くと思はば さっさと行け』 − とどまれぬものな ら、行くより仕方がない。死ぬも生きるもどっちでもいいことだ。−です。
皆さんからの問いかけとご意見
ご投稿12 (1998. 7.12)
_subject=「あなたにとって死とは」 _
message=
曾祖父の言葉にこんなのが残っています。浄土真宗の臨終は信心 を得た時で、それからの日暮らしは、お浄土参りの道中。吐く息 吸う息がとまった時はお浄土えの門出ではない。お浄土に着いた 時なのである。 お浄土参りの道中なら、暑くても寒くても……やはり暑いか。 しかし有り難いですなぁ。
name=和風漏居
ご投稿13 (1998.10.19)
subject=死にたいとおもいながら..生きてます。
message=
息子が死んだとき、本気で死を考えました。でも生きてます。当たり前のことですが、「死」は別れであり、悲しみです。人が死ぬとその人は少なくとも「この世」から消滅してしまい、想い出だけが残ります。その想い出が残された人たちを悲しませるのです。(想い出は必ずしも悲しさだけを与えるわけではありません。それだったら捨ててしまいたくなりますものね。)死ねばもう一度息子に会えるだろうか。そう考えて、キュブラーロスや立花隆の本を読んだりしましたが、結局死後の世界や、輪廻転生などがほんとにあるかどうかは死んでみないとわからない。それに息子の死に激しく悲嘆にくれているのは私だけではありません。もし私が死んでしまったら、その人たちに新たな悲しさを与えることになってしまいます。それはあまりに忍びなかったので、死ぬのはあきらめました。
死んだら「あの世」に行けるのでしょうか。もしかしたら「死」は終わりではないのかも知れません。でも「あの世」はほんとに極楽なのでしょうか。「この世は仮住まい」ともうしますが、「あの世は終着点です」ともいえないような気がするのです。ひょっとしたら、「あの世」にも死が存在し、「あの世パート2」があるのかも知れません。ともすると、現世よりもつらい目に遭うかも...。 「死」というものを考えるのが、無駄なことだよと言っているのではありません。でも忘れてはならないのが、今ある「生」のことではないでしょうか。死と生はワンセットで取り扱わなくてはならないものだと思います。どちらが欠けても困るんじゃないでしょうか。「男と女」、「雨の日と晴れの日」、「酒と肴」...ちょっと違うか。
今は死ぬのはあきらめましたが、私は今でも「死んだら楽になれるかな」とか、「生まれ変わるなら、人間じゃない方がいいな」とか考えてしまいます。でもいたずらに死にあこがれて、ポジティブになってしまうと、今ある「幸せ」や「楽しみ」まで、見失ってしまうかも知れません。幸せは探せば結構その辺にあるかも知れません。実は私にも見つけることができました。死は別れであり、悲しみだと書きましたが、実は大切な家族が死んだとき、いろんなことを考えさせてくれるものです。その悲しさが逆に幸せを浮き彫りにすることだってありますから。
結局私にとって、「死」とは、「生を考えさせるもの」でしょうか。
name=まこっちゃん
from=sumikawa@mcn.ne.jp
subject=わたしにとって死とは・・
message=
ご無沙汰しております。
11月くらいから調子を崩し、自殺未遂3回行いすべて失敗。自分に絶望してました。
しかし昨日より他人の自殺未遂に巻き込まれて、改めて自殺 の恐ろしさを実感しました。
私たちのように、心の病ものにとって、死とは現実からの 逃避手段だな、と改めて思いました
name=澄川 亜樹
ご投稿をありがとうございました。心より御礼申し上げます。
皆さまからのご投稿を無駄にしないようページを充実させていきます。
みんなの広場へ | 内容案内所へ |