「もう・・・生きてる意味がない。 」
「死にたい」
(2001.2. 6現在 ご投稿件数 19件)
このページのサイズが80KBを超えてしまったので、今回の更新を機に「何の為に生きるか」のような形に直しはじめたのですが間に合いませんでした。ごめんなさい。今暫くこのままでご辛抱下さい。
問いかけのご投稿
_subject=もう・・・生きてる意味がない。 _
message=
何もかもがいやになった・・・・・
もう生きててもしょうがない・・・・。
お母さんもお父さんも・・・・・みんな死ね
私も生きていたくない・・・だけど
お前らが生きてるのはもっといやだ・・・・・
私が死ぬ前に殺してやる・・・・
お前らなんかクズだ・・・ゴミだ・・・・
私以上に生きてる意味がない・・・・
お母さんもお父さんも外面ばっかりよくて
私に対してはまるで奴隷のように・・・・・
殴る蹴る閉じこめる・・・学校にも行かせてくれない
もううんざり・・・友達の前でのあの笑顔・・・・
私には見せたこともないくせに・・・・。
お前らをころしてから私も楽になってやる
覚悟しておけ・・・・バカ親クズ親め
name=m
mさん
ご投稿ではないかもしれないので、こんなところに掲載させていただいてはいけないのかも知れませんが、アンケートフォームからのお便りでメールアドレスが分かりませんので、ここにお返事させていただきました。 ごめんなさいね。ハンドルネームは差し障りがあるといけないので「mさん」と記載させていただきました。ご指示があり次第削除させていただきますので、どうかお許し下さい。 |
message=
7月30日、自殺したいと思うようになりました。
他の掲示板で十分な回答がありませんでした。
そのときの文章をここに転載しますので、どうか助けてください。
いまもどうしてよいかわかりません。
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高校1年の春に、クラスの委員長が主となって、クラス全員にいじめにあいました。
高校に行くのが辛いのに、教師や親には「とにかく学校へ行け」と言われ続け、学校でも 家でも周りが恐くなってしまい、外へ出ることも苦痛でした。
それが原因で転校し、通信制の高校だったことなどから2年留年しました。
その後も家族に精神的に束縛され続け、2年間ただ自分の部屋の中に閉じこもったまま でした。
交通事故で腰椎間板損傷の後遺症も負いました。
現在大学2年生になりましたが、いじめから8年経過した今、ともだちは一人もできませ ん。
4年も遅れた人間とつきあってくれる友達は誰もいません。
それに、4年遅れた人間を積 極的に雇ってくれる企業もありません。
過去も今も未来も、なにもいいことがありません。
いままでは、安易に自殺という言葉をだすことはしませんでした。
でも、だれにも受け入れてもらえない状態がもうこれ以上続くのはいやなんです。
もう、自分で命を断つ以外に方法が考えられません。
学校や社会で、たくさんの人たちが仲間どうしで楽しそうに遊んでいるのに、こんなこと を書くのは恥ずかしいことですけど、いま自室で泣きながらキーボードをたたいている自 分が、とてもみじめで仕方ありません。
name=n
このお3方ともその後お返事をいただけませんでした。
一番最初のmさんは、たとえば私たちが日記にある人の悪口のありったけを書きちらすことによって、怒りを静めることがあるように、アンケートフォームに書くだけで怒りがおさまって下さったのだろうか・・と願いを込めて思っています。 |
subject=もう・・・生きてる意味がない。 _
message=
私も自分が生きている価値がないと思います。
母が死にました。家族は私と母の二人きりなのに、私は親不孝のし通しでした。
母の死のその瞬間ですら、私はその横で居眠りしていたのです。母はたった
一人で淋しく死んでいきました。たった一人の母、私の為に命を削って死ん
でいった母なのに、私は居眠りをしていて母を一人で死なせてしまったのです。
親孝行をしたと言う子供同様、なんて親を亡くして後悔のない子供なんてうそっぱち
だと思ってます。
親孝行な子供なんているはずがありません。「親孝行」をしてもらったと思って下さる のは親のほうであって、子はどこまでも親不孝でしか在り得ないのです。それが子供 の分限です。子が親に親孝行などできるはずがありません。子は親不孝しか出来な いものです。それを出来ると思っている、それを邪見驕慢悪衆生、驕慢心というんです よね。 親というのはその親不孝を許してくれている存在です。 写真の親が親ではありません、その子の邪見驕慢を許して下さっている親心こそが 親です。その親は死にはしません。 死んだのは、親孝行できると子が勝手に思い込んでいる対象物です。 私もまた、親不孝を重ね、父の死に目に会えなかったので、せめて謝りたい、そのため ならどんな神仏でも信じようと思いました。けれども、謝りたいという自分の願いばかり を追いかけて、その願いが叶わないことに絶望し、泣き叫んでいる私に、そんな私にすら 親は願いをかけ続けて下さってます。それだから許されて泣き叫んでいられるのです。 子は親の力になんかなれません。なれると思うのは驕慢です。 けれども親はそんな子を許してくださってるのです。子はその親心に甘えさせていただき、 こうして親不幸を重ねるのが子の分限です。 喜ばせていただくのみではないでしょうか。 けれども、いつも言うことですが、 喜ぶべき事を喜べないのが凡夫と呼ばれるこの私です。 そのことを知ってるだけで、喜べないままに喜ばせていただけるのではないでしょうか。 本当の親、親心は死にはしません。子の心で生き続け願い続けて下さってます。お母さんはいつもいつもあなたと共にいて、今もこれからも、あなたのために生きて下さってます。 |
message=
message=
神さまなんていないに決まっている。仏さまなんているはずがない。
message=
私は十代の頃から若者の「自殺」という問題を考えて来ました。
けれども一昨年迄の私は強かった・・・。強すぎたのかもしれない・・・。
私だって小学生の頃に「仲間外れ」等・・・そんな経験も一応あります。 確かにその時は辛かった・・・。 でも元々私は開き直る性質だったので、自分なりにトコトン我慢した後に は結局開き直ってしまったんですね。(笑) いつも誰かを仲間外れにするリーダー格の子を昇降口で一人待ちました。いつも通り 相手は数人の仲間の取り巻きと一緒でした。 私は他の子等には目もくれず、ただ一人だけに対して文句を言いました。その時の私 の気持ちとしたら「どの道イジメられるんならば、真正面からぶつかった方がいい。 じっと耐えていたって、こんな気持ちなんて何も分からずに、こいつ等は調子に乗る だけなんだ!! それならばヤルか、ヤラレルか・・・。最悪でも5分と5分にはもって行ってやる !!」 これ程の思いでぶつかった所、私は未だ一言二言しか文句を言っていないのにアッサ リと謝って来ました。 イジメッ子は翌日からは別人の様におとなしくなってしまったんです。 私の中でその1件は大きな教訓となっていたんだと思います。 どんな時も「本気になってぶつかれば何とかなるものだ!!」 ずっとそれで二十五年間生きてきました。 二十三歳の頃その時に付き合っていた彼氏とたまたま「自殺」について話をした事 がありました。 「どうして死んでしまうのだろう?!気持ちは分からない訳では無いんだよ。ただイジ メにあったとしてもその相手と一生付き合って行く訳では無いのに、何故そんな奴等 の為に自分の全てを放棄してしまうんだろう?! 私はヤル気になれば5分と5分だと思うんだ。自殺をしていってしまう子達が増えて いる事に対して本当に勿体無い気がするし色々な感情で心がざわめくんだよね・・ ・。何か私が出来る事って無いのかなぁー・・・。」 私がこう話したところ彼氏は、 「それは強者の論理なんじゃないのかなぁー?!それが出来ないから自殺して行ってし まうんだよ。開き直れないから自殺して行ってしまうんじゃないか?!」と答えまし た。 私は・・・そうなのかも知れないなぁーと思いその後何度もその事に対して考えてみ たりもしましたが、両方の考えにどっちつかずの思いでした。 二十五歳迄の私はやはり本当の弱さを知らなかったのかも知れません。極端に言え ば「勝ち戦」ばかりで二十五年間生きて来たのかも知れません。私なりには一瞬「死 んでしまいたい」と思う事は何度かありました。でもそれは一瞬の弱音みたいなもの であって心から実際に死ぬ事を 考えていたわけではありませんでした。 私はきっと何があっても自殺だけはしないだろうなー。・・・その点だけは自信があ りました。何時も子供の頃に覚えた教訓があったから・・・・。 そんな私が・・・二十五歳の時の出来事では本気で「死」を考えました。私は 「人間」というものの色んな意味での「弱さ」「ずるさ」「醜さ」「非情さ」「我が 身可愛さ」・・・それら人間である以上誰もがもっているであろう・・・それらのも のにだけは太刀打ち出来ませんでした。人間の心の中に住むそれらの感情にだけは、 正面からぶつかる事など到底出来得なかったのです。 「人間」に対して絶望しまし た。そしてそう思う自分も同じ様に「人間」なんだと思うと、この先どう生きていっ たらいいのかが分からなくなりました。この時ばかりは本当に「死んでしまいたい」 と思いました。 けれども死ななかった・・・。 今迄何一つ親孝行出来ず、挙句の果てには「自殺」などをして先に逝ってしまう事 を考えるとどうしても出来なかった・・・・・。 決して死ぬ事が怖かったんじゃない・・・。 私にすればこの先生きて行かなければならない事の方がよっぽど怖かった・・・。何 よりも「生きている人間」が一番怖いと思ったりだから・・・。 決して私の親が特に立派な訳ではない・・・。 けれどもやはり先に逝ってしまう事だけは申し訳が立たない・・・。 迷惑ばかり掛けて、親不孝ばかりの私だしいっそのこと死んでしまった方が良いのか な・・・そんな気持ちにもなりました。 けれどもやっぱり親は何よりも「自殺」されてしまう事が一番辛いだろうと 思ったのです。 何故「死」を追求して行かなかったかというと、手首を切ったとか、睡眠薬を多量に 飲んだとかでは無いけれど「どう考えても死んでもおかしく無い」という事を1、2 度しました。自分自身どっちに転んでも不思議は無いという際を体験しました。 でも幸か不幸か私は死ななかった・・・。 私は自分で自分の事を「トコトン図々しい奴だなぁー。」と思い笑ってもみたりしま した。 そんな後に改めて考えたのは、結局私はあの際の状態の中でも「こっち側」に転んだ んだ・・・。生きている「こっち側」に・・・・。 観念してこっち側居るしかないんだな・・・・。って思いました。 それと同時にあの状況の中でもこっち側に転んだ事は私の意思でも何でも無く、神か 仏か・・・何者かによって「生かされている」のかも知れないと 思う気持ちに変わりました。 死ななかった現実を受け止めていかなくてはならないの だと思いました。 人を責めたいという気持ちと・・・それによってボロボロになった自分・・・ ちっぽけになってしまった自分を責める気持ちばかりがありました。 でも「人間の弱さを許そう・・・」そして「それによって傷付いている自分の弱さも 許そう・・・」自分も含め何者をも・・・これ以上責める事はもう止めよう・・・。 全てを「あるがままに・・・」受け止めようと思う気持ちに変わりました。 親に対しては心の中で呟きました・・・。 「こんな自分でも、生きているだけマシだと思ってよ・・・。 私にとっては・・・親を思う気持ちから唯一出来る事があるとすれば・・・ 今こうして生きている事だけ・・・ただそれだけ・・・・。それしか出来ない。 今はこれが精一杯なんだ・・・。」 こんな言葉を何度か繰り返しました・・・。 あれから二年過ぎた今でも・・・「生かされて」今の私があると思ってます。 これだけ犯罪や事故・・・毎日沢山の事が起こっています。 その中で命を落として行った人達にしたって、きっと誰もが当たり前のように思って いたはずの事・・・。 今日と同じ様に「明日」が来る事を当然のものだと思っていた事でしょう。 何も疑う事無く・・・当たり前のように明日が来るものだと・・・・。 でも私はこの時に思ったのです・・・。 逆に・・・こうして何が起こっても不思議では無い世の中で、私は今生きている。 それは当たり前の事では無く、「生かされているに過ぎない」のかも知れない・・ ・。「たまたま」私は生かされているのかも知れない・・・。 何故私はイヌでもネコでも無く、「人間」だったのだろう・・・・。 けれどもそれにすら・・・何か意味があるのかも知れない。 敢えて私に「人間」としての命を授けた・・・。 その意味は・・・?! 自分は何ができるのだろうか・・・?! そんな事を考えてみました。 自分が思っていた程、自分は大したものでは無かった・ ・・。思っていたより、ずっとずっと・・・ちっぽけだった・・・。 ちっぽけな自分だけどせめて出来る事があるとすれば・・・どんな時も、 「本来人間として誰もが、当然自分にはあるものだと思っているけれど、本当は大切 に出来ていない・・・。 一番持っていて当然の事だから疑うことなく自分は持っていると奢っているも少なく はない・・・。 なのに実際には・・・哀しいかなとても難しくて次第に失われいってるように私には 見える・・・それを失わせるのは「欲」です。 私がまっとうしたいのは、何よりも先ず「人間として感じるべき心」を失わない事・ ・・。」 ちっぽけな自分だし正しい事ばかりを選べない自分だけれど、人間として感じる心や 情・・・それらのものだけは失わずに「人間」としてまっとうしよう。 ちっぽけな自 分だから名を残すような功績等上げられやしないけど、 せめてこれだけは失う事無く、「人間として生を授かった意味に報いよう」 こんな風に考えました。 こう考えたのは私が真面目に正しい事を選ぶ人間だからではありません 全く逆です。 過ちばかりで罪深き人間だからこそ、改めてこんな事を考えたのだと思います。 「生きてる意味が無い」という投稿を見ました。他の掲示板でも「生きてる意味って 何?!」というレスを何度も見ました。 そして私も「生きてる意味」というものを改めて考えてみました。 お恥ずかしい話しですが人間として未だ足りないせいか、いくら考えても 言葉に出来る程明確な答えが見つかりません。 そう考えたら私まで「goshinさん・・・生きてる意味って何ですか?!」って聞きたく なってしまいます。(笑) ただ一つだけ私が思った事は、 「間違える事、迷う事多き中で・・・考える事や悩む事によって何かを得て行くこと ・・・それ自体『生きてる意味』になるのでは無いかな・・・。 そんな風に思いました。 |
今日と同じ様に「明日」が来る事を当然のものだと思っていた事でしょう。 何も疑う事無く・・・当たり前のように明日が来るものだと・・・・。でも私はこの時に思ったのです・・・。 逆に・・・こうして何が起こっても不思議では無い世の中で、私は今生きている。 それは当たり前の事では無く、「生かされているに過ぎない」のかも知れない・・ ・。「たまたま」私は生かされているのかも知れない・・・。
ちっぽけな自 分だから名を残すような功績等上げられやしないけど、 せめてこれだけは失う事無く、「人間として生を授かった意味に報いよう」 こんな風に考えました。
人間って、絶えず先のことを考えますよね。 そうすると・・・・先々「ふられるのが怖いから」先にふってしまうなんていう ことを 考える人もいます。 幸せなうちに不幸なことを考えてしまう。 そして自分を守ろうとしてしまう。 でもそういうのって、今現在の幸せをも壊してしまうことになります。不安で幸せを体全体で味わえなくなります。 「わが身可愛さ」って・・・必ず逆の結果で出るんだと思います。 でもあなたはそうじゃないようですね。 その時の幸せに全力投球だった。 だからこそ・・・愛する人の別れに際して 「死にたいほど」苦しんでいるんだと思います。 私も先日同じような経験をしました。 心から愛し、一度は通じ合った人と離れました。 結果、いろんなものを得ました。 得たもの中の一つは・・・人の苦しみが、ちっとはわかるようになったというこ とです。 それまでは人の苦しみなんて、人のものでしかなかった。 「死にたい」という人には「ふ〜ん」ということくらいしか 言えなかった。 しかし今は分かります。勿論全部じゃない。ちっとばかりです。 でもそういうのが分かるようになった。 「学校」とあったから、高校生くらいの人でしょうか。 ミスチルの『終わりなき旅』に「どこかに自分を必要としてる人が居る」という 歌詞があります。ご存知かと思います。 苦悩を経験した人は、苦悩する人に必要とされるものだと思います。 あなたは深く、暗い海の底に沈んでいる。まだ沈み続けている。 でも海の底で必ず、何かを掴みます。 浮き上がってこられた時、その「何か」を掴んだあなたを必要としている人が 必ず、居ます。 私も経験がありますが・・・・苦しんでいる時に苦しみを取り除こうとしても、 よくて現状のままか、もしくはより事態が悪化したりします。 私は悪化した方だったんだけど。 goshinさんは「苦しむべき時は苦しむべし」と仰います。 その通りだと思う。 というより、そうせざるを得ないように出来ているんだと思います。 誰と話しても、何をしても、ちょっとの気晴らしにはなりますが、心の底に残っ た 何だかぬめぬめした黒いものは取り除くことが出来ません。 そうならば・・・覚悟を決めて苦悩を受け入れる他はないのだろうと思います。 それは独りで悶々とするということではなくて、苦悩の為に・・・人と話したり せざるを得ないんだな・・・助けが必要なんだな・・・と覚悟することだと思い ます。 取り除けないことが「わかっちゃいるけど」、誰かに助けを求めることは どうしても「やめられない」。 それを繰り返してると・・・何故か人間はゆっくり・・・浮き上がります。 浮力というものがあるんだなぁ、多分。 浮き上がるまいとしても、浮き上がります。 逆に沈んでいる時は浮き上がろうとしても・・・ぶくぶくと沈みます。 沈みゆく時は、沈めばいいんだと思います。 海の底には七色に光る貝殻が必ずあります。 ************* ************* K・K |
ご投稿9
message=
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れれ、また独りよがりなことを書いてしまいました、ごめんなさいね。 いつか掲示板を設置したいとおもっているのですが、今のところ時間がなかなかとれないので こんな面倒な形にしています、これに懲りずにまたご意見ご感想などお聞かせ下さいね。 |
大学に入ったのに自分の思い違いで単位が足りなく卒業が延期と言われました。大したことがないと長い人生の中から見るとそうかもしれないけれど、今が全ての私にとって就職も決まったのに就職先にも何も言えない、友達にも言えないし、どうすればいいかわからない。学費を払ってくれた親にも申し訳ないし、合わせる顔がない。死んでしまったら、卒業できなかったことなんか隠せるかもと思う。 |
ご投稿16
ネコさんへ
どうか、見ていてください。私からのメッセージを。 人はこの世に生まれてくるとき、少なからず祝福されて、生まれてきます。私はそう 思っています。 それなのに”死にたい”という言葉がでるほどに、あなたは苦しみ・悩み・・・今精 一杯日々を送っているのですね。こんなに頑張っているのですね。側にかけより抱き しめて上げられるなら、あなたの涙が止まるまで抱きしめてあげたいです。 どうして、こんなに苦しまされるのでしょうね、答えが見つかれば苦しまないのに・ ・・・言葉がつまってしまいます。 私自身の事、聞いてくれますか? 私は自分自身の強がりから、高校の選択に失敗し学年に4人いた、女子とも仲良くと いうよりなじめず、一年も経たないうちに中退しました。家族からはその頃、めざわ りだ遠くへ行ってくれ、兄弟からは「あんたなんか、兄弟だなんて恥ずかしくて・・ ・」と罵倒され、行き場がなくなりこのまま消えたい、どうなってもいいと思いまし た。 退学届を出し、その帰り道担任の先生が「おまえは、家にいたいんだろう?本当 は。」と聞いてくれて声が出なくて 「うん・・・」とうなずくのが精一杯でした。そして一人家に帰り、荷物をボストン バッグに入れようかと、思っているときに今は亡き母が「家にいなさい。どこにも行 かなくてもいいから」涙を目に一杯ためて私に言ってくれました。私は、救われまし た。消えることなく生きています。 しかし、高校中退者が社会に出るという事は、簡単な事ではありませんでした。世間 はそう簡単には、受け入れてはくれませんでした。たとえ愛した人との事でも、すんな りはいきませんでした。 18歳の誕生日を目前にした頃、妊娠4ヶ月である事にきずき悩んだ末に、その人の母親 に打ち明ける事になりました。「高校も行ってないような子を、嫁にするわけにはい かない!」 会ってもくれず私は、結婚できるものと信じていたのに、たったそれだけの理由で全 て壊れ去りました。もうすぐ18歳の誕生日という時でした。 信じてた人にも裏切られ、おなかの子供はどんどん成長し・・・・もう誰にも何も話 せない、この子を抱えて一緒ならいい。そう思いまだ冷たい海の水に入っていきまし た。涙がたくさん、たくさんこぼれました。 首まで浸かって後もう少し・・・その後はあまり記憶にありません。 その後も辛い日々は終わりませんでした。手術から帰ってからは、胸が張り熱が下が らず、痛さと苦しさで日を過ごす事も苦痛な毎日。約一月ぐらい続きました。 17年経った今も、思い出すのが怖くなる日々でした。 こんな私でも、人並みの幸せをつかみ暮らしています。 年月は流れ、時がたてば少しずつでも、何かが変わると私は思っています。私が、そ うでしたから・・・・だから、 ネコさん、涙を流してキーボードをたたいてるあなた、惨めに思わないで下さい。あ なたの優しさに、必ず気がつく人はいますよ。傷を負った人は、痛みを分かってあげら れるやさしさがあるのです。 傷をつける人間は、この先傷を負う辛さを思い知らされます。必ず! どうかもう一度、掲示板に書き込んでください。私、待ってますから。必ず。 あなたからの声、待ってますよ、ネコさん。 |
subject=_死にたかったけど
message=
生きている意味がわからないから、わかるまで生きてみようかと思います。
有り難うございました。 |
name= けいこ
けいこさん、こちらこそ、新年のご挨拶をありがとう。
「いつかまた、ここへ投稿させてもらいます、それまで、10年後も20年後もこのコーナーを続けていて下さい」と仰有って下さったけいこさんのお言葉に、10年後、20年後のけいこさんの書き込みを待ち続けるそんなHPでありたいなと思いました。ただし、goshinが死んだときの為に誰かにこのコーナーの管理だけでも続けてもらえるようにお願いしておこうッと新年早々またまた元気を頂戴しました(・_・;?
ご投稿18
subject=_なやみ
message=
死にたいのに死ねないのはきついです。
はやく死にたい。 |
name=tomomi
ご投稿19
subject=_俺も死にたいね
message=
1年前にオカンが死んで、なんか俺ももう死にたい思うことよくあるわ。こんなこと事誰かに話せんからね。
今まではどんな辛いこともその うち忘れるわって思っとった。 でもこんな辛いのはじめてやし、どう対処していいかよう分からんわ。 |
name=s.t
ご投稿をありがとうございました。心より御礼申し上げます。
皆さまからのご投稿を無駄にしないようページを充実させていきます。