「超能力について」あなたはどう思われますか?
問いかけのご投稿 ゆうこ
占い師の人に私の前世が蛙で、霊が取りついていると言われま したが、こんな事が本当に分かるのでしょうか。
超能力なんて本 当にあるのでしょうか。
ご投稿1 Y.T
超能力にも本物と偽物があると思います。私は本物は知りませんが・・。たとえば<スプーン曲げ>スプーンが曲がったからといって何なのだという感じ・・・<空中浮遊>何10cmなん分間、体が浮いたといって、何になるのだろうか・・・<念写>実用的だとは思えない・・・もし偽物でないとしても、占いも含めて、この手のものを超能力というなら、これは娯楽の一種だと思います。
「前世が蛙だ」ぐらいなら笑って済ませるけど、「霊が憑いている」といわれるといい感じはしませんが、気にしないことです。
ご投稿2 t-ury
人の前世がわかるような超能力者なら、霊が憑いていると分かった時点で黙って除霊をする。「霊が憑いている」などと脅して、金を巻き上げるようなセコイことをするのは凡人の証拠で超能力者なんかであるはずない。
ご投稿3 青空
はじめてお便りします。 私は、真宗学科に所属していたこともある、元学生です。
超能力は、人間みんなあるものだと思います。 例えば、誰かの顔を思いだしたら、その人から電話があった。 こうなればいいなあと思えば、こうなる。 人間は、何か能力をもち、普段はつかってないだけで、 内には秘めていると思います。 占い師は、あるともないともいえないけれど、 人の人生は創造だから、いくらでも変化する。 自分がこうだと思えばね。 その言うとおりだと思ったら、 物事もその方向しかいかないのでは。 私自身占いは、好きだったけれど、 人生は、創造だとわかったときから 必要もない。 人間なんて、不安をもち、 先のことをあーやこーや気をまわしすぎなのでは。 占いも、なんかの生きるヒントにはなると思う。
まあ、みんな宗教に頼るのも なにか願い事でたよるのが多いが、 神や仏様は 生き方を指し示し、見守ってくれる大きな存在。 願い事のためだけで、存在するのはおかしい。
超能力は、みんなある。 未来は、きっとみんな超能力を使う時代がくる。
では、以上。 失礼しました。
ご投稿4 天衣有縫
「超能力」は、仏教では「神通」というものです。それは、修行を通じて 得られる人間の本能です。つまり、得られるというよりも、「蘇る」という 言葉を使った方が正しいかもしれません。人間として、誰でもこんな能 力を持っているはずです。
「超能力」を持つ人は、二種類いると思います。前世、前前世、前前 前・・・世の修業または善行の報いが現世で現れた場合と、現世で修 業を通じて得た場合のふたとおりです。
人の前世を見破る能力は、仏教では「宿命通」という「神通」です。か なり高いレベルの超能力です。ちなみに、いま中国湖北省武漢市にい る我が恩師は、そういう「神通」を持っているもです。但し、それを使って 勝手に人に前世因果を教える占い師に限って、偽者の方が多いでしょ う。なぜなら、修行成果が「宿命通」を得るまで達成した人は、かなりの レベルを持つ修業人のはずなので、決して口軽く人に「神通」を見せる ような「占い師」なんかにはなりませんよ。
善行をし、且つ修業すれば、誰でも「超能力」を得ることができますが、 仏教では「超能力」、いわば「神通」を戒律の一つとして禁じられていま す。善行をするとき、人を救うときなどの場合は、使ってもいいですが、 自分のために使ってはいけません。ひどい報いになりますよ。少なくと も、修業が邪道に転じ、「超能力者」から「精神病患者」に変身する恐れ がありますので、絶対に気軽に「超能力」を求めないようにご忠告します。
ご投稿5 kudoh
ご投稿6 中原 憬
ご投稿7 珍宝院釈法伝
ご投稿8 龍樹
message=はじめまして。龍樹と申します。 超能力とその捉えられ方について、 ショート・ショートを書いてみました。
マヤ 先輩 どうして予言なんてできるんでしょうか。非常識です。
リツコ まず 人の力じゃ無理ね。潜在的な能力を得る必要があるわ。
マヤ 潜在的な能力と言っても、どのようなものか見当もつきません。
リツコ いろいろあるけど、予言に使われるのは、分析智と直観智ね。
マヤ 分析智は、私たちが科学において用いている 分析と一緒と考えていいのですか。
リツコ だいぶ違うわね。それを考えるには、潜在意識の構造を知る必要があるわ。
マヤ 私たちが「自分と認識している意識」を表層意識と定義したとき、その反対の「意識化されていない自分の意識」 をさす言葉ですね。
リツコ ちょっと違うわね。意識化されている、 いないだけではなくて、さらに別の表現が必要よ。それは、「曖昧か 明確か」ね。
マヤ 意識の何が曖昧だったり、明確だったりするんですか。
リツコ 「好きか 嫌いか」の識別よ。曖昧なのが表層意識、明確なのが潜在意識。よく私たちは「好きでもない、嫌いでもない」 っていうでしょ。それは表層意識の産物で、潜在意識は「好きか 嫌いか」のどっちかなの。曖昧にできないのね。そして、分析智とは、 潜在意識の分析なの。
マヤ 「AでもないnotAでもない場所」 が生じるってことですね。
リツコ ちなみに「AでもないnotAでもない場所」っていうのは、無明によって生じるの。一旦、無明が生じてしまったら、 その人の世界は、AとnotAだけだから、その人は、自分が無明に陥っていることすら 気付かないのよ。
マヤ 無明ってなんですか。先輩。
リツコ 「認識の固定」のことね。自在に解釈できるはずの認識を固定してしまうこと。「これが 現実」って思い込んでいる状態のことね。
マヤ いつ無明に陥っていることに気付くんですか。永遠に気付くのは無理なんですか。
リツコ 困ったことに、内部だけで論理的に矛盾のない世界を 作り上げることができるの。だから、その内部の世界で安住しているうちは永遠に無理ね。
マヤ 外部から内部の論理を打ち砕くだけの環境がそろわないと無理なんでしょうか。
リツコ そう、環境と自己の間に生じた衝撃。 つまり「苦痛」ね。苦しみによってのみ自己の世界観から脱却できる 突破口が開かれるのよ。
マヤ 逆に言ったら、あらゆる世界観を超越する道は、苦しみが消滅する道なんですね。意識の構造は分かりました。でも、 「曖昧でない分析」が分析智ってことですか。 数学などの科学だって明確なはずです。科学が曖昧だなんて非常識ですよ。先輩。
リツコ その通り。確かに科学は明確に世界を記述しているわ。 でもそれは世界の一部よ。まだ、興味のままに探求できる範囲の世界でしかないの。
マヤ 興味のままに???
リツコ 知りたいことを探求しているだけなの。知りたくないこと、不都合なことも 探求しないとならないこともあるのよ。 〕類はまだそれに“耐える”事ができない。
マヤ よくわかりません。先輩。知りたくないことを 探求するのは、非常識です。
リツコ 例えば、科学がずっと進歩して、自分の価値観に肉薄してきたらどうするの?例えば、“遺伝子の情報で民族の優劣があることが分かった” とすると、単純に喜んでばかりはいられないわ。たとえ事実でも認めたがらないはずよ。
マヤ 現在でも、施政者の都合で、 事実や歴史を捻じ曲げるということをしますね。
リツコ だから、世界を記述するのと同時に、 自己の閉じた価値観を超越することを 要求するような科学の領域が出てくるはずよ。 言い方を返れば、苦しみの許容量つまり、“精神性”も扱っていかなければならない 領域がでてくるわ。
マヤ 現在の科学はまだ自己の価値観内で収まっているけど、未来に価値観外の領域に科学が及ぶとき、人類は それを受け入れるだけの精神性も養わないとならない ということですね。知的好奇心のみで探求できる世界は有限ってこと。
リツコ そう。自分の色眼鏡で物事を見ないことが前提となるのね。この色眼鏡の原因こそが、 さっき出てきた、“無明”なのよ。 これが現実だって思いこんで、それ以外の可能性に 目をつぶり、自分の都合の良いように論を組み立てる。
マヤ しかもその都合の良さに気付かない。非常識ですね。
リツコ こわいでしょ。だから自分の世界観が閉じていることに 唯一気付かせてくれる苦しみを見つめるべきなのよ。 苦しいとき、非常識なときこそ現実を直視すべきなの。苦しいときこそ、感情的になるのではなく、 科学的になるべきなの。こうやって精神性を向上させ、 すべての色眼鏡を外した分析が分析智。
マヤ 直観智の“直観”もただの直感ではなさそうですね。色眼鏡が無いですから。
リツコ そう。色眼鏡の「こうであって欲しい。 こうあるべきだ。」の反対は?マヤ。
マヤ 「こうでも、ああでも、どっちでも良い」ですか。
リツコ そうね。つまり、対象の両側面を肯定しきっている のね。否定がない。否定がないということは、対象に対する集中力は高いわよね。その集中力を持って、 対象の必要十分な情報を引き出すのが直感智なのよ。
マヤ 直観智によって必要十分な情報を引き出して、偏りのない分析で未来を予言する これなら 正確に未来を予言できるのは、 常識って気がしますね。
リツコ 常識と非常識の二元性…………厳しいものね。
どうでしょう?こんなのばかり書いてます。よかったら、 覗いてみて下さい。 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/9918
ご投稿9 yositaka.m
message=
goshinも〜
subject=霊能者はインチキです。 _
message=
超能力と霊能者ときちんと分けて考えるべきだと思います。
超能力とはの定義は保留して、今日は霊能者について投稿します。 結論は霊能者は100パーセント迷信を利用したインチキです。 仏教は霊の存在を認めていますか?認めてもいませんが、否定もしてないのがその立 場では? 現在キリスト教的常識で「人間は肉体と霊魂からなっている」との前提がまかりと うっていますが常識を疑ってみては? 「諸行無常」から霊魂だけは除外されるのです か? 仮に霊魂が存在すると仮定して、霊能者には都合の良い霊だけが見えるのですか? 私は大阪に住んでますが、大阪城周辺は50数年前「被服工廠」の軍事施設があり爆 撃があり多くの死者を出しています。又豊臣氏が滅亡した「冬・夏の陣」の古戦場で もあります。 霊が満ち満ちているはずです。 広島では原爆で何十万の死者を出したはずです。 霊を感知する能力を持つ霊能者なら発狂しませんか?広島や古戦場を平気で通過でき る 霊能者をあなたは信じますか? 先祖の供養が足りないから今の不幸が起きているなどと除霊を勧める霊能者もいますが、もしあなたが霊魂となって子孫が供養してくれないからと自分の子孫に祟りますか? 前世が蛙でいま人間に生まれてきたのは蛙の時に善行を積んだからではないのですか ? どうか迷信に惑わされてはいけません。 マスコミは超能力とか霊魂とかあることを前提に報道します。特にテレビはひどい。 能力とは常時発揮できるものを言います。 ナポレオンズがスプーンまげをやったら「マジック」で、誰かが同じ事をやったら超能力??? なぜスプーンなのですか、フォークとかナイフも曲げて見せてよと言いたくなるので すが。 |
subject=「超能力について」 _
message=
釈迦は、雑阿含経のなかで、死後の世界とか、霊魂とか
超能力とか、そんなものが有るとか無いとか考えたところで 生きる上で役に立たないと言っていますが。
私自身は、たとえ 有ったとしても(無いとも人間は永遠に証明できないので) そんなもの無いものと思って、 たとえ自分がみすぼらしくとも、今自分の持っている力で 精一杯生きる方が、充実した人生だと思います。 大体、世の中沢山の人がただでさえにも苦しんでいるのに おまえには霊が憑いているとか言って驚かす人は、おまえこそ なんか憑いてるんじゃないの?って言いたくなるし 自分だけは超能力を身につけて人より優れた人間であろうなんて 考え自体が”煩悩”って言うんじゃないですか? |
NEW!ご投稿12 name= uemura
subject=「沙綾」 _
message=
ゆうこさんの言う占い師さんが力のある方ならば、本当にありえる事なんです。 私にはその方に力があるのかないのなかは分かりませんのでこの結果が当たっているとはいいきれません。 一木 倉八郎さんは、霊能者が100パーセントインチキだといわれておりますが、確かに中にはインチキな方もいらっしゃるかもしれませんが、インチキでない人たちがいる事をしっていただきたいです。 霊能者には都合の良い霊だけが見えるのではありませんし、広島や古戦場を平気で通っているわけではありません、霊達は確かに満ちていますが、多くの人により除礼されているとこでかなり減っているのもまた事実です。 先祖の供養が足りず不幸な事が起こるのは彼らが苦しんでいるからなんです、苦しみから開放せれるには伝えなくてはいけませんが、見えない方もいるでしょうし見える方もいます。 見える方は分かってあげられますでも、見えない方には分かってといっても無理な事のはずなんです、そのために彼らは行動を起しますそれが、私たちには不幸でしかないだけなんです。 私は偉そうな事いって貴方をいやな気分にさせてしまっているかもしれませんね、申し訳ないです。 ですが、分かってください私たちは除礼をするときに命の危険性があり命をかけてやっているインチキではない者もいるということを |
NEW!ご投稿13 name= majiltuku
subject=「岩本光平の考え」 _
message=
僕は超能力について大変興味があります。 そもそも人間はどうして超能力というものを信じてしまうかといいますと種を見破れないからなのです。例えばトランプなんかですごい事を見せても、これを超能力だと信じる人は少ないはずです。 それはなんとなく種がありそうだからです。しかし、スプーン曲げや念動、予言、透視などは見たかんじではトリックがあるように見えません。 だから信じてしまうのです。 |
NEW!ご投稿14 name= ゆうち
subject=「人間のちっぽけな脳みそで解ること」 _
message=
超能力などどうでもいいと思っていが、超能力者はいるかも知れない。はっきり言って、超能力者がいないと言い切るのも人間のちっぽけな脳みその傲慢だと思う。人間のちっぽけな脳みそで解ることなんて知れている。 ところが、超能力者を自称する人のほとんどは自分の脳みそがちっぽけだということすら知らないのではないか。そんなことも知らない人のいうことなど全く信用出来ない。 私は「人間のちっぽけな脳で解ること」のみを語る人を信用する。 |